ジュエリーと社会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 15:04 UTC 版)
「アンティーク・ジュエリー」の記事における「ジュエリーと社会」の解説
一つの普遍的要素として誰がどんなジュエリーを着けることができるか、つまり社会的地位を強力に示す装飾としてジュエリーは厳しくコントロールされてきた。 たとえば古代ローマでは、ある階級に属する人間だけが指輪を着けることができた。のちには奢侈抑止法によりジュエリーのタイプ別に着用の規定ができるが、基準はやはり社会的な階級であった。 文化による要求もまた影響を与えた。例えば19世紀から20世紀初期にかけての欧米社会では、男性がイヤリングをつけることは「めめしい」と考えられている。ところが同じ20世紀初期、宝石産業界は男性用の婚約指輪を流行させることには失敗に終わったものの、男性用の結婚指輪を定着させる販売戦略は成功した。時には偽りの歴史を作り上げ、そのルーツは中世にあると主張しさえしたのである。1920年代の米国で結婚式で指輪交換の儀式の行われる率は15%に過ぎず、1940年代の中ごろには85%にまで上昇している。 宗教もまたジュエリーに関わりがある。たとえばイスラム教では男性が金を身につけることは社会的タブーとされており。 (ユースフ・アル=カラダーウィーも参照。)グリーンバウムは、歴史的実例の少なさに関して次のように述べた。「イスラムのジュエリーの大部分は花嫁の持参金という形を取り、次世代に受け継ぐという伝統はなかった。代わりに、女性が死ぬとジュエリーはスーク(市)の店が買い取り地金に再利用したり、店に立ち寄った者に売ったりした。そのため19世紀以前のイスラムのジュエリーは非常にまれである。キリスト教の場合、新約聖書に金を身に飾ることを禁じる記述がある。過度の装飾に警告を発する宗教は他にも多い。
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