ジャンルとしての確立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 03:06 UTC 版)
「軽ボンネットバン」の記事における「ジャンルとしての確立」の解説
火付け役となったアルトの成功に追随するかたちで、ダイハツ工業がクオーレのバンモデルとしてミラクオーレを発売し、富士重工業(現・SUBARU)、三菱自動車工業も同様の車種を相次いで投入、市場は活況を呈した。 「節税車」軽ボンネットバンの大人気ぶりは国税庁の注意を引き、1981年10月からは4人乗り軽ライトバンにも5.5%の物品税が課税されるようになったが、それでも乗用軽の物品税課税率15.5%に比べればはるかに格安で、人気を大きく削ぐことはなかった。しかも、完全2人乗り仕様であれば5.5%課税の対象とならなかったため、メーカー側も廉価版として後部座席を省いた2座モデルの軽ボンネットバンを投入するしたたかさを見せた(後の三菱・ミニカH32V型には運転者のみの1シーターモデルまで加えられているが、この30系ミニカは1993年(平成5年)デビューなのでこの件に関しては無関係と思われる)。 1985年(昭和60年)には、1974年に軽乗用車カテゴリーから撤退して久しかった本田技研工業が市場の動きに刺激され、この当時の一連のクーペ型乗用車にも通用する独特の低重心(低車高)設計でスポーティー且つユニークな意匠を持った軽ボンネットバン、トゥデイを発売して、乗用タイプの軽自動車市場に復帰した。 これらの軽ボンネットバンは、低所得者層のほか、主婦層や若年層を中心とした大衆ユーザーから広く支持され、1980年代における軽自動車の主流となった。ボンネットバンは、1980年代の軽自動車マーケットの活性化に著しく寄与したと言える。
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