シリア地方での戦争~その死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 14:43 UTC 版)
「ナボポラッサル」の記事における「シリア地方での戦争~その死」の解説
だが、アッシリアの完全な滅亡を目指す新バビロニア国・メディア国の連合軍は、追撃の手を緩めなかった。その翌年(紀元前611年?)、バビロニア軍はハッラーン周辺地域で略奪を行い、紀元前610年、包囲戦の末、ハッラーンを陥落させた(ハッラーン陥落(英語版))。詳細は判然としないが、アッシュール・ウバリト2世はこの戦いにおいて死亡したとされる。 紀元前609年の春、エジプトのネコ2世はアッシリア軍を援護するため、かなりの規模の軍を率いてきた。大軍の先頭は主に傭兵から成っていた。陸軍の動きに合わせて地中海上を進む艦隊で陸軍を擁護しながら、ネコは沿岸の海の道(Via Maris)を通ってシリア地方へ入った。彼は、イズレエル平野の南に連なる丘の尾根を越えていこうとしたが、彼の進路をユダの軍が遮っていた。ユダの王ヨシュアはバビロニア軍の援護を受けつつ、ネコの進軍をメギドで食い止めようとしたが、激しい戦闘が起こり、ヨシュアは殺された(メギドの戦い)。ネコは進軍を続け、アッシュル・ウバリトの軍と合流し、彼らはユーフラテス川を渡ってハッラーンを包囲した。ハッラーンの奪還に失敗すると、彼らはシリア北部へ退却した。 紀元前605年、ナボポラッサルの息子、皇太子ネブカドネザルはネコ及びアッシリアの残存軍とカルケミシュで戦った(カルケミシュの戦い)。紀元前605年に退位して数ヶ月のうちに、ナボポラッサルは53歳でその死を迎えた。自然死であったと思われる。ネブカドネザルは王としての地位を固めるべく、バビロンへと急いだ。跡を継いだネブカドネザルはエジプト軍を撃退し、新バビロニア帝国の最盛期を築くことになるのである。
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