シッキム政界への進出とは? わかりやすく解説

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シッキム政界への進出

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 21:51 UTC 版)

カジ・レンドゥプ・ドルジ」の記事における「シッキム政界への進出」の解説

1904年インド国境接すシッキム最南部のパキョン(英語版)(Pakyong)に生まれた6歳時にシッキム最大僧院であるルムテク僧院英語版)に入り、後にガントクチベット学校で学習している。16歳時にルムテク僧院戻り2年修行の後に同僧院主管8年務めたその後、兄と共にダージリン青年僧侶団体結成しシッキム西部中心に各種学校建設活動取り組んでいる。 1945年カジ・レンドゥプ・ドルジ(以下、「ドルジ」と略す)は、シッキム・プラジャ・マンダル(Sikkim Praja Mandal)という福祉団体創設し以後シッキム政界での活動開始することになる。1947年12月7日ドルジは他の団体指導者と共にシッキム史上初の政党であるシッキム国家会議派SCC)をガントク結成したSSCは、シッキムでは移住民ながら多数派に当たるネパール住民主体とした政党であり、また「地主制の廃止」「民主的責任政府樹立」「シッキムインドへの加入」を主張していた。そのためSSCは、原住民支配階層ながら少数派に当たるブティヤ・レプチャ系住民主体とし、「王室擁護」「シッキム独立」などを掲げシッキム国民党(SNP)とは激しく対立した。 しかし1950年にインド・シッキム条約結ばれインド政府シッキム王室連携が強まると、ドルジ失望してインド姿勢を示すようになる1953年SSC初代総裁タシ・ツェリンが死去するドルジ後任総裁選ばれたが、党内有力者インド王室接近するカシ・ラジ・プラダン(Kashi Raj Pradhan)との対立の末、1958年11月SSC離党新党スワタントラ・ダル(Swatantra Dal)を結成している。しかし、同年シッキム王国参事院State Council立法府に相当)選挙1960年参事院補欠選挙では、複雑なコミュナル選挙制度のためにいずれも落選喫した

※この「シッキム政界への進出」の解説は、「カジ・レンドゥプ・ドルジ」の解説の一部です。
「シッキム政界への進出」を含む「カジ・レンドゥプ・ドルジ」の記事については、「カジ・レンドゥプ・ドルジ」の概要を参照ください。

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