ザ・ランナウェイズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 04:13 UTC 版)
「ジョーン・ジェット」の記事における「ザ・ランナウェイズ」の解説
詳細は「ザ・ランナウェイズ」を参照 ジョーン・ジェットはドラマーのサンディ・ウェストと共にザ・ランナウェイズの創立メンバーの1人である。マイケル・スティール(後に脱退)、ジャッキー・フォックス、リタ・フォード、シェリー・カーリーの加入により全メンバーが揃った。最初はカーリーがバンドの看板ヴォーカリストとなり、ジェットも何曲かリード・ヴォーカルを務めた。リズムギターを担当し、多くの曲を単独で、或いはフォード、ウェスト、カーリーと共作で書いた。彼女たちは5枚のLPをレコーディングした。また日本でのライブ盤は、アメリカとイギリスの音楽史上、最大の輸入盤セールスを記録したレコードの1つになっている。バンドは世界中をツアーした。初期にはチープ・トリック、ヴァン・ヘイレン、トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズなどと組むこともあった。特に日本では大きな成功を収めた。 ザ・ランナウェイズは、ヨーロッパ、アジア、オーストラリア、カナダ、南米で人気を博したが、アメリカ本国では同様の成功を得ることはできなかった。カーリーとフォックスが脱退した後も(ベーシストのヴィッキー・ブルーが加入、更にブルーが抜けた後はローリー・マカリスターに替わった)、もう2枚のアルバム、『Waitin' for the Night』と『And Now... The Runaways』を発売したが、バンドは1979年の春に解散。 直後にジェットは、ジャームス (Germs) の最初にして唯一のスタジオ・アルバム『(GI)』をプロデュースしている。
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ザ・ランナウェイズ
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「サンディ・ウェスト」の記事における「ザ・ランナウェイズ」の解説
サンディはプロの演奏家になりたいという野心に突き動かされ、メンバー全員が女の子のロックバンドを作るという着想を持って、南カリフォルニアで仲間となるミュージシャンや業界関係者との接触を模索した。1975年、彼女は音楽プロデューサーのキム・フォーリー (Kim Fowley) に出会い、地区内に住むもう1人の若いミュージシャン、ギタリストのジョーン・ジェットの電話番号を教わった。その後まもなくしてジョーンとサンディは落ち合った。ジョーンは一緒に演奏するための曲を何曲か携えて、サンディの家までバスでやって来た。彼女たちの間には明らかな相乗効果があった。この日がザ・ランナウェイズの始まりという事もできる。彼女たちはその後フォーリーの前で演奏した。フォーリーはバンドを充実させるために他の女性ミュージシャン、特にリタ・フォードとシェリー・カーリーを獲得する手助けをすることに同意した。
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