ランナウェイズ以後
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「サンディ・ウェスト」の記事における「ランナウェイズ以後」の解説
4年間世界中をツアーし、レコーディングをした後、ザ・ランナウェイズは1979年に解散した。レコード業界では、バンド活動中に産み出された収益の多くが、ミュージシャンの手元に残らない事が多い。サンディもその例にもれなかった。彼女はプロのミュージシャンを続けるために様々な試みをした。南カリフォルニアの他のグループと演奏し、ソロアルバム『The Beat is Back』をリリースし、サンディ・ウェスト・バンドを結成した。これらの試みは全て顕著な収入は産み出さず、サンディはランナウェイズ以後の年月の大部分を音楽界の外で働くことを余儀なくされた。 サンディはバンドの元ベーシスト、ヴィクトリー・ティシュラー=ブルー製作・脚本・監督による、ザ・ランナウェイズのドキュメンタリー映画『Edgeplay: A Film About The Runaways』(2004年) に出演した。身を切るようなインタビューシーンを提供し、ランナウェイズ以降、困窮していることを語った。彼女は大部分を建築業界で働き、バーテンダーと獣医のアシスタントとして短期間を過ごした。『Edgeplay』の他のインタビューでは生活のために犯罪的な行為に手を染めた事実についても触れている。サンディはインタビュー中ほとんど涙で詰まり、ザ・ランナウェイズが昔のように集まって、演奏を続けることができない事を受け入れられないでいた。この2004年の彼女自身の告白によれば、彼女はバンドの消滅を全く乗り越えられていなかった。 2005年、サンディは肺癌と診断され、後に脳腫瘍へと進行した。彼女は2006年10月21日に亡くなった。47歳であった。ジョーン・ジェットは「私たちはロックンロールを演奏する女の子の夢を共有しました。サンディは活力にあふれた、力強いドラマーでした。」と語り、更に「私は友人を失った悲しみに打ちひしがれています。私たちは何時も自分たちが世界を変えるんだと語り合っていました。」と続けた。シェリー・カーリーは「サンディ・ウェストは疑いようもなくロックンロール史上、最も偉大な女性ドラマーでした。並ぶものなどなく、彼女の域に近づくことさえできませんでした。しかし最も大事なものは彼女の心です。サンディ・ウェストは驚く程ファンや友人、家族を愛していました。彼女は自分が愛していた人々のためなら何でもしました。唯一無二の存在であるサンディ・ウェストを私は永遠に失ってしまいました。二度と以前と同じ様にはステージを踏むことができないでしょう。」と述べた。
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