ザ・ファントムギフト時代
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「ピンキー青木」の記事における「ザ・ファントムギフト時代」の解説
1982年:福生市、米軍横田基地にて、リード・ギターとしてバンド参加。 1983年暮れ:ザ・ファントムギフト(THE PHANTOM GIFT)を結成。ボーカルの他、作詞作曲も担当した。ネオGSブームの牽引役として、後世のバンドに多方面に渡り多大な影響を及ぼす。尚、ピンキー青木及びザ・ファントムギフトに感銘を受けたミュージシャン及び音楽評論家として、以下が代表的である。 草野マサムネ(スピッツ)いわく、「80年代後半、僕は田舎から上京したてのビートパンク少年(照)だったから、ファントムギフトは聴かず嫌いで、ちょっと遅れてハマったんですよ。ポップなのにどこか異形で、発酵食品のような癖になる音楽。早く聴いときゃ良かったと後悔したもんです。今夜はこれ聴きながら部屋で一人で体揺すろうと思います。」 馬場育三(Dragon Ash)いわく、「若さゆえ過ちは、時として美しい。愛と憎しみの果て、全てを許せる旋律と祈りが鳴り響く日々の中僕は魔法のタンバリンを叩くのです。」 大貫憲章(音楽評論家)いわく、「いうまでもなくファントムギフトはまさにKINGと言うに相応しい存在で、オリジナルGSを十分に知る僕にも納得のいくレトロフューチャーで、パノラマチックな独自の世界を見せてくれた。このアルバムからもそういうオーラが滲み出ているのをあなたも体感するのだ。」 1986年:多摩美術大学美術学部芸術学科卒業。在学中、太宰治研究者である奥野健男の薫陶を受ける。 1989年:ザ・ファントムギフト(THE PHANTOM GIFT)脱退。
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