サンタ・マリア・デル・ポポロ教会
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「ポポロ広場」の記事における「サンタ・マリア・デル・ポポロ教会」の解説
ブラマンテ、ラファエロ、ベルニーニらが建設に携わった。カラヴァッジョの壁画など美術品を多く有する。
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サンタ・マリア・デル・ポポロ教会
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「ロレートの聖母 (ラファエロの絵画)」の記事における「サンタ・マリア・デル・ポポロ教会」の解説
ローマ教皇ユリウス2世が、ラファエロに『ヴェールの聖母 』と自身の肖像画のデイ作をラファエロに依頼したのは、ローマの玄関口にあたるポポロ広場の サンタ・マリア・デル・ポポロ教会に宿泊中のことだった。完成した作品はどちらもサンタ・マリア・デル・ポポロ教会の所蔵となり、この当時は『ヴェールの聖母 』は『デル・ポポロの聖母』あるいは『聖家族』という名称で呼ばれていた。 ローマのサンタ・マリア・デル・ポポロ教会とその付属する礼拝堂には、様々なルネサンス芸術家による装飾がなされたが、最初に装飾を手がけたのはラファエロである。『ローマ教皇ユリウス2世の肖像』と『ロレートの聖母(デル・ポポロの聖母)』は主要な聖人の記念日と 大聖日に公開され、飾りつけられた作品だった。 この2点の作品はほぼ同じ大きさであり、セットで飾ることを前提として制作されたとされている。どちらの作品も垂直方向への視点が強調されており、伏目がちな人物像の目線が作品に瞑想的な印象を与えている。人物像の配置や光の表現からも、これらの作品が円天上の礼拝堂主祭壇の両側にそれぞれ配置されることを意図していたと考えられる。所有者がサンタ・マリア・デル・ポポロではなくなっても『ローマ教皇ユリウス2世の肖像』と『ロレートの聖母』はペアで所蔵されていたが、現在では『ローマ教皇ユリウス2世の肖像』はロンドンのナショナル・ギャラリーの所蔵となっている。ユリウス2世が死去する1513年に、ベネディクト会サン・シスト修道院を通じてラファエロに描かせた『システィーナの聖母』において、マリアの足元に古代のローマ教皇シクストゥス2世』がひざまずいて描かれていることからも、ユリウス2世が聖母マリアを崇敬していたことがわかる。 サンタ・マリア・デル・ポポロ教会が手放して以降の『ロレートの聖母』の行方は推測の域を出ない。多くの模写が描かれたことや、重要な記録の精査が進んでいないことも来歴がはっきりとしていない要因である。
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