コンクリート骨材採取
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/23 01:51 UTC 版)
「宮川ダム (三重県)」の記事における「コンクリート骨材採取」の解説
ダム本体に加え発電所などの付属設備建設にも使用される大量のコンクリートの骨材採取場として伊勢湾側の雲出川中流、宮川中流の七保大橋付近、熊野灘側の北牟婁郡船津村(現在の紀北町)の船津川、北牟婁郡赤羽村(現在の紀北町)の赤羽川が候補となった。1952年(昭和27年)10月から1953年(昭和28年)1月までの検討の結果、赤羽川が選ばれ、同年2月まで試掘調査を行い、同年3月には小野田セメント株式会社藤原工場で精密検査が行なわれ、骨材採取場は赤羽川に決定した。作業用索道は同年6月13日の県土木部で行なわれた入札に参加した5社の中から、2番札の東京索道が選ばれ、同年6月28日着工、翌1954年(昭和29年)3月25日完成の工期9か月間の請負契約が結ばれた。索道工事は1953年(昭和28年)9月26日の台風13号の被害と、大杉谷地区の用地交渉の遅れなどから突貫工事を要求され、木材およびセメントなどの原料の高騰があったため、三重県は1955年(昭和30年)4月30日に東京索道に139万円を補償した。水没する大杉谷地区の用地交渉は92戸で、当時の日本のほかのダム計画に比べて少なかったため容易に進むと楽観視されていたものの、1953年(昭和28年)6月に開始された各戸交渉は翌年10月に90世帯と調印できたに留まり、2戸を残していた。
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