グロースザクセンハイムの歴史
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「ザクセンハイム」の記事における「グロースザクセンハイムの歴史」の解説
ザクセンハイムは、1090年に初めて記録されている。この集落にちなんでザクセンハイム家はこの家名を名乗った。その拠点はおそらく「オイセーレン・ブルク」、現在のアルトザクセンハイム遺跡であった。遅くとも1400年頃に建てられた水城、ザクセンハイム城館の建設後、この家門はグロースザクセンハイム集落を本拠地とし、1495年に都市権を授けた。このゴシック建築の城館は1542年に焼失し、ラインハルト・フォン・ザクセンハイムによってルネサンス様式で再建された。この家系は1560年に継嗣がなく断絶したため、この新しい街は1561年にヴュルテンベルク領となり、クラインザクセンハイム、メッターツィンメルン、ウンテルムベルクとともにウンターアムツベツィルク(下位の行政管区)としてアムト・グリューニンゲンに編入された。この状態は、17世紀にグロースザクセンハイムが独立したアムトの所在都市となるまで続いた。 この街は、三十年戦争中およびその戦後に住民のおよそ半分を失った。18世紀から19世紀にも凶作や飢饉(特に1816年から1817年の大飢饉)が人口減少に拍車をかけた。ザクセンハイムは純粋な農村の状態となった。ヴュルテンベルク王国の新たな行政機構の開始により、アムト・グロースザクセンハイムは廃止され、大部分がオーバーアムト・ファイインゲンに統合された。 経済発展は、1853年の王立ヴュルテンベルク邦有鉄道(西路線上に固有の駅が設けられた)とそれに続く工業化によるものであった。ナチ時代のヴュルテンベルクの行政改革により、1938年にザクセンハイムは、新設されたファイインゲン郡に属すこととなった。第二次世界大戦中、ヴロースザクセンハムの南西 2 km に、空軍の飛行場が設けられた。 第二次世界大戦後、グロースザクセンハイムはアメリカ管理地区(ドイツ語版)の一部であったため、1945年に新設されたヴュルテンベルク=バーデン州(ドイツ語版、英語版)に属すこととなった。この州から1952年に現在のバーデン=ヴュルテンベルク州が成立した。 1971年12月1日にクラインザクセンハイムがグロースザクセンハイムに合併した。同じ日に市の名称が「ザクセンハイム」と改名された。1973年1月1日にホーエンハスラハ、オクゼンバッハ、シュピールベルク、ヘフナーハスラハが合併した。バーデン=ヴュルテンベルク州の郡域再編によりファイインゲン郡が廃止されたため、範囲が拡大されたルートヴィヒスブルク郡に編入された。
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