クルディスタン自治政府
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/18 16:08 UTC 版)
「マスード・バルザニ」の記事における「クルディスタン自治政府」の解説
1991年に湾岸戦争でサダム・フセインが敗北した事で、クルド人はイラク領クルディスタン(南クルディスタン)に自治権を確立し、翌1992年にはイラク初の自由選挙が行われた。バルザニ率いるクルディスタン民主党(KDP)と、ジャラル・タラバニ率いるクルディスタン愛国同盟(PUK)の2大政党で票を分け合った。 1994年5月、民主党と愛国同盟の軍が衝突。1996年8月31日、バルザニは愛国同盟に対抗する為に中央政府のサダム・フセインに援助を求めた。一方で愛国同盟はイランの援助を受けていた。イラク中央政府の援助によって民主党は愛国同盟を主要都市から追放したが、スレイマニヤ等はなおも愛好同盟が支配することとなった。1998年のワシントン平和条約によって内戦は終結し、イラク領クルディスタンは北西を民主党が、南東を愛国同盟が支配する事になった。 2003年のイラク侵攻(英語版)の後に、民主党と愛国同盟は統一地方政府を樹立。バルザニはイラク統治評議会に加入し、翌年4月には輪番制だった評議会議長を1期務ている。 2005年6月、バルザニはイラク領クルディスタン議会(英語版)の議長に就任した。10月25日にはクルディスタンの長としてアメリカのブッシュ大統領を、10月31日にはイギリスのトニー・ブレア首相を、11月13日にはイタリアのシルヴィオ・ベルルスコーニ首相を、11月14日にはバチカンのベネディクト16世を公式訪問した。 2007年1月、バルザニはクルディスタン議長委員会(英語版)を設置。3月13日にはサウジアラビアのアブドゥッラー・ビン・アブドゥルアズィーズ国王を、3月19日にはヨルダンのアブドゥッラー2世を公式訪問した。 2009年7月、69.6%の得票率で議長に再選。 後述するように自身に不利な報道を弾圧したことによる批判も受けたが、2011年2月、バルザニは平和や安定、地域の宗教的寛容性を推進したとして、イタリア大西洋委員会とNATO議会イタリア派遣団から大西洋賞を受賞した。また、バチカンのベネディクト16世は、キリスト教徒の難民に避難所と援助を提供した事に感謝を述べた。 2013年8月、クルディスタン議会はバルザニの任期を2年延長。それ以降も議長を務めた。2014年にはISISとの戦闘の中でクルディスタン独立に向かっている事が評価され、タイム誌の今年の人の8人の候補に選ばれた。 2016年7月、バルザニは次の選挙には出馬しないと発表した。
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