クラインヘッセローアー湖
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「エングリッシャーガルテン」の記事における「クラインヘッセローアー湖」の解説
クラインヘッセローアー湖 (Kleinhesseloher See) は Werneck の指揮下で1800年ごろに作られた人工湖で、当時の庭園の北端にあった。その北に門と見張所があり、その北には Hirschau が広がっていた。そこで公園の管理人が公園内で働く人々のためのビール店を開いた。間もなく牛乳や軽食も出すようになり、特にダンス用の木製の台が設置されると公園を散歩する人々も立ち寄るようになった。Werneck の後を引き継いだシュケルは1807年から1812年にかけて湖の拡張工事を行い、現在の大きさにした。水は園内の小川から供給されている。湖の面積は86,410平方メートルで、Königsinsel(王の島、2,720 m2)、Kurfürsteninsel(選帝侯の島、1,260 m2)、Regenteninsel(摂政の島、640 m2)という3つの島が浮かんでいる。 シュケルが湖を拡張したことで上述の店は湖に近くなり、後に2,500席の湖畔のビアガーデン Seehaus となった。1882年から1883年にかけて、Gabriel von Seidel が食堂を兼ねたボートハウスを建てた。1935年、Rudolf Esterer がそのボートハウスを湖の見渡せるテラスのある新たな建物に建て替えた。1970年まで非常に人気だったが、撤去されている。新たなデザインが募集され、Alexander von Branca が日本の田舎風の設計で選ばれたものの、コストがかかりすぎるということで建設されなかった。その後15年間は一時的な建物で営業していたが、1985年に Ernst Hürlimann と Ludwig Wiedemann の設計した現在の Seehaus が建てられた。湖と Seehaus は今も人気のレジャースポットとなっており、足漕ぎボートも貸し出している。 湖畔には庭園開発者2人の記念碑がある。Werneck を記念した Werneck-Denkmal は東岸の丘に建っている。1838年、ルートヴィヒ1世の命でフォン・クレンツェが建設した。そのやや南にシュケルを記念した Sckell-Säule がある。こちらもフォン・クレンツェが設計したもので、シュケルの亡くなった翌年の1824年に建設された。施工は Ernst von Bandel (1800-1876) で、彼は後にヘルマン記念像で知られるようになった。
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