クモヤ740形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 20:00 UTC 版)
交流電化区間が増えてきたため、1969年3月および翌1970年4月に製作された交流20,000V専用の牽引車で、暖地向け0番台2両、寒地向け50番台3両の計5両が、郡山工場でモハ72形から改造された。 1969年製の4両は、当初クモヤ792形を称していたが、1970年4月に現形式に改称された。なお、1970年に製作されたクモヤ740-53は、クモヤ792形を経ずに直接クモヤ740形となっている。番号の新旧対照は次のとおりである。 クモヤ740-1 ← クモヤ792-1 ← モハ72105 ← モハ63367 クモヤ740-2 ← クモヤ792-2 ← モハ72280 ← モハ63596 クモヤ740-51 ← クモヤ792-51 ← モハ72133 ← モハ63603 クモヤ740-52 ← クモヤ792-52 ← モハ72089 ← モハ63269 クモヤ740-53 ← モハ72161 ← モハ63365 外観はクモヤ90801と似ているが、塗装は赤2号で前部にはクリーム4号の帯が入れられたので、印象が異なる。また交直対応の機器を設置したために、一部の窓を塞いでのルーバー取付、中2つの扉の固定化、機器室部分の屋根を開閉可能とするなど独自の装備もある。なお交流専用となっているが、直流区間でも制御車として走行することができる。また高速走行時も制御車として使用される。暖地向けは南福岡区へ、寒冷地向け50番台は青森所へと配属されたが後述のクモヤ441形の配属により-53は南福岡区へ転属した。 1, 51は国鉄民営化前に廃車。2, 53は九州旅客鉄道(JR九州)に、52はJR東日本にそれぞれ承継された。東日本の52は2001年に廃車。九州では53は2005年に廃車、最後まで残った2も2008年12月24日付で廃車され、形式消滅した。
※この「クモヤ740形」の解説は、「国鉄72系電車」の解説の一部です。
「クモヤ740形」を含む「国鉄72系電車」の記事については、「国鉄72系電車」の概要を参照ください。
- クモヤ740形のページへのリンク