キョウエイマーチ
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キョウエイマーチ(欧字名:Kyoei March、1994年4月19日 - 2007年5月9日)は、日本の競走馬、繁殖牝馬[1]。
キョウエイマーチの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | リファール系 | |||
父 *ダンシングブレーヴ Dancing Brave 1983 鹿毛 | 父の父 Lyphard1969 鹿毛 | Northern Dancer | Nearctic | |
Natalma | ||||
Goofed | Court Martial | |||
Barra | ||||
父の母 Navajo Princess1974 鹿毛 | Drone | Sir Gaylord | ||
Cap and Bells | ||||
Olmec | Pago Pago | |||
Chocolate Beau | ||||
母 インターシャルマン 1987 鹿毛 | *ブレイヴェストローマン Bravest Roman 1972 鹿毛 | Never Bend | Nasrullah | |
Lalun | ||||
Roman Song | Roman | |||
Quiz Song | ||||
母の母 トキノシュリリー1978 栗毛 | *スティンティノ Stintino | Sheshoon | ||
Cynara | ||||
トミニシキ | *ユアハイネス | |||
スズキナルビー | ||||
母系(F-No.) | シュリリー系(FN:7-d) | [§ 2] | ||
5代内の近親交配 | Nearco 5×5 | [§ 3] | ||
出典 |
注釈
- ^ ノーザンホースパークで乗馬になった後、現在はノーザンファームでリードホースになっている。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n “キョウエイマーチ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2024年2月4日閲覧。
- ^ “キョウエイマーチ死亡(10日)”. 競馬ブック. 2021年11月11日閲覧。
- ^ a b 産経P11
- ^ 産経P38-39 生まれてから予防のために朝夕の2回毎日欠かさず血の循環をよくする薬や痛み止めの薬を与えていたり、炎症を起こしている箇所に湿布薬を貼るといった対処をしていたといった記述がある。
- ^ また、同項には第1仔である兄も同様の症状を抱えており、3歳まで同様の治療がなされていたがデビューはかなわなかったといった内容の記述もある。
- ^ 産経P12
- ^ 産経P13
- ^ 産経P14
- ^ それまでの松永の桜花賞での最高着順は1992年(第52回)のフリークフィールドでの4着が最高着順であった。
- ^ 産経P37-39 それまでのG1級のレースを勝ったインターグロリア、キョウエイプロミス、キョウエイタップなどは他牧場で誕生し、離乳後仔分けされて育成を担当したものであり、純粋な生産馬としては初のG1級レースでの勝利となった。
- ^ 阪神で5勝、京都で3勝を挙げている。なお、長距離輸送を伴うレースでは地方の盛岡競馬場で行われた南部杯の2着が最高着順であった。
- ^ 産経P20 ライバルと最後の対決という表現がある。
- ^ 産経P21
- ^ マイルチャンピオンシップから秋山へ変更。
- ^ 産経P31に「実質トップハンデ」の記述がある。 この時のトップハンデはメイショウオウドウの57.5kgであり、牡牝の差で1kgから2kg減量されることを考慮すると、実質的にトップハンデとなると考えられる。
- ^ 産経P31に「旧馬齢7歳での桜花賞馬の重賞勝利は初」という記述がある。
- ^ 産経P33
- ^ 桜花賞馬キョウエイマーチが死亡 - netkeiba.com 2007年5月10日付記事 2011年3月17日閲覧
- ^ ヴィートマルシェは3歳の8月、トライアンフマーチとインペリアルマーチは3歳の1月にデビュー。
- ^ 「阪神スプリングプレミアム」のレース名が決定! JRAニュース 2010年3月22日閲覧
- ^ a b c "血統情報:5代血統表|キョウエイマーチ". JBISサーチ. 日本軽種馬協会. 2016年9月9日閲覧。
- ^ 『優駿』1997年5月号、日本中央競馬会、142頁
- 1 キョウエイマーチとは
- 2 キョウエイマーチの概要
- 3 競走馬時代
- 4 競走成績
- 5 繁殖牝馬時代
- 6 脚注
固有名詞の分類
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