ガリアとローマの都市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 09:35 UTC 版)
「トゥールーズ」の記事における「ガリアとローマの都市」の解説
最初はローマと同盟関係にあったVolques Tectosagesであるが、紀元前107年にローマに打ち負かされ、以後トロザはローマ都市となった。原史の都市はガリア・ナルボネンシスの重要な行政・軍事都市であった。アウグストゥス帝時代の1世紀末、新たな都市が、現在のトゥールーズ歴史地区につくられた。その他の大都市のように、ガリアのローマ人は多くの建物と同様水道橋を架けた(その多くは後に破壊された)。劇場、アンフィテアトルム、大浴場や神殿が14,000箇所あった。紀元30年以降、ローマ人はトロザの周囲を巨大なレンガ製の壁で取り巻いた。壁の一部は今も建っている。 250年、トゥールーズの名が聖トゥールーズのサトゥルニヌスの刑死によって歴史に記された。サン=セルナン大聖堂は彼に献堂されている。この殉教説話は、ローマ帝国全土で新しい信仰が出現したことを意味していた。3世紀から4世紀、市は拡張されて栄えた。最初のサン=セルナン大聖堂が、地域でのキリスト教拡大と共に403年に建てられた。レンガが建設資材として広範囲に使われた。413年、西ゴート族がトロザに侵攻し、この都市を自分たちの王国の首都に選んだ。違った文化と信仰を持つガリア・ローマ人(カトリック)と西ゴート人(アリウス派)は、508年まで双方とも混じり合うことなく続いた。507年のヴイエの戦いで西ゴートを敗退させたクローヴィス1世が、翌508年にトロザを征服したのである。
※この「ガリアとローマの都市」の解説は、「トゥールーズ」の解説の一部です。
「ガリアとローマの都市」を含む「トゥールーズ」の記事については、「トゥールーズ」の概要を参照ください。
- ガリアとローマの都市のページへのリンク