ヴイエの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/27 19:02 UTC 版)
「フランク・西ゴート戦争」の記事における「ヴイエの戦い」の解説
「ヴイエの戦い」も参照 503年ごろにアルモリカ人と同盟を結び、国内の大貴族の支持も得たクロヴィス1世は、507年にアクィタニア平定に向けて動き出した。彼が軍勢に略奪を禁じたことから分かるように、この遠征は単なる侵略ではなく西ゴート人からの解放と編入を意図したものであった。ナントからポワチエへ向かう道中で、フランク軍は西ゴート軍の襲撃を受けた。アラリック2世はクロヴィス1世が国内カトリック諸侯の支持を固めていることを理解しており、彼らが王のもとに集結する前にクロヴィス1世を叩こうと考えていた。このヴイエの戦いはフランク軍の大勝利に終わった。西ゴート軍の中核は撃滅され、アラリック2世も戦死した。クロヴィス1世との一騎打ちによる死だったとも言われている。
※この「ヴイエの戦い」の解説は、「フランク・西ゴート戦争」の解説の一部です。
「ヴイエの戦い」を含む「フランク・西ゴート戦争」の記事については、「フランク・西ゴート戦争」の概要を参照ください。
- ヴイエの戦いのページへのリンク