建国と改宗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 09:47 UTC 版)
フランドルを支配していた小国の王クローヴィス1世(465年 - 511年、在位481年 - 511年)が勢力を伸ばし領土を拡大。全フランクを統一し、481年、メロヴィング朝を開いた。496年、クローヴィスはカトリック教徒であった妻との約束により、ゲルマン人に定着していたアリウス派キリスト教(異端宗派)から、家臣4,000名とともに正統派のアタナシウス派キリスト教(カトリック)に改宗した(クローヴィスの改宗)。これによって旧西ローマ帝国貴族の支持を得、領内のローマ系住民との関係も改善された。506年に西ゴートをヴイエの戦いで破り、その王アラリック2世を戦死させ、イベリア半島へ駆逐。王国の版図を広げた。
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