建国と北京
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 14:25 UTC 版)
日本軍を駆逐することに成功し勝利したものの、国民党と中国共産党の対立は深まるばかりであり、遂に国共内戦が起こり、中国近代史上最大の内戦が始まった。次第に優勢となった共産党軍は国民党軍と蒋介石を追い詰め、台湾島に敗走させた。1949年には共産党軍に北京は無血開城され、10月1日に毛沢東が天安門から中華人民共和国の成立を宣言し、新たな中国の首都となり、再び北京という名称も復活した(現在でも、中華民国での北京の正式名称は「北平」である)。新中国の首都にふさわしい姿とするべく政府は北京の改造に着手し、1950年には城壁の取り壊しが行われ、天安門広場の整備や北京駅の移転などの事業も行われ、現在の北京に近い様相を呈するようになった。 しかし、政権は安定したものの中国の政情は安定せず、今度は共産党内での勢力争いからきた内紛が激化した。1950年代から行われた大躍進性政策が失敗し、毛沢東は共産党内での勢力を失った。
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