建国から軍閥時代
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「中華民国 (1912年-1949年)」の記事における「建国から軍閥時代」の解説
共和制は、中国の最後の王朝である清を打倒した辛亥革命後の1912年1月1日に宣言された。1912年2月12日、摂政孝定景皇后は、溥儀皇帝に代わって退位令に署名し、数千年にわたる中国の君主制を終わらせた。国父であり臨時大総統である孫文は、北洋軍の指導者である袁世凱に大総統を引き継ぐ前に、短期間務めた。宋教仁率いる中国国民党が1912年12月の議会選挙で勝利した。しかし、宋教仁はその直後に袁世凱の命令で暗殺され、袁世凱が率いる北洋軍は北京政府の完全な支配を維持した。その後、1915年に中華帝国を宣言したが、短命に終わった。1916年の袁世凱の死後、清王朝の一時的な回復(張勲復辟)により、北京政府の権威はさらに弱体化した。 北洋軍の派閥が個人の自治権を主張し、互いに衝突したため、ほとんど無力な政府が国の崩壊をもたらした。こうして10年にわたる地方分権化された権力闘争と長引く武力紛争である軍閥時代が始まった。
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