ガイド犬時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/18 07:38 UTC 版)
ガイド犬としての平治の行動も詳細はほとんど明らかではない。平治は他の使役犬のように特定個人と行動を共にするのではなく単独で不特定の登山客に付き添い行動したため、世話をする荏隈でさえ登山客から目撃談を伝え聞く以外に山中における平治の行動を把握し得なかったからである。晩年の平治を取材しその没後に児童向けの伝記を著した坂井ひろ子も、それを明らかにすることに腐心したと述べている。ただ、現地に遺された「平治ノート」には平治と行動を共にした多くの登山者によるメッセージが書かれていたという。 坂井の著書によれば、山中における平治の行動は概ね次のようなものだった。登山客がバスから登山口に降り立つと目前に犬(平治)が座っている。登山客が平治に行き先を告げて歩き出すと、平治はまるで言葉が分かるかのように登山客の先頭に立ち、人間に合わせた歩調でゆっくり歩く。分岐点に差し掛かると停まり登山者が追いつくのを待つ。登山者が山小屋などへ入ると呼ばれない限り中へは立ち入らない。食事も登山者自身が与えたもの以外は欲しがらず、腹が空くと人知れず自力で狩りをしたらしい。人に対して吼えたり噛んだりも決してしなかった。 山中で道に迷ったり負傷するなどして助けを求める登山者が居ると、どこからともなく平治が現われて彼らを先導し、時には身体を支えるなどして登山口や山小屋へ案内した。山中で「すがもり小屋」なる山小屋を営む男性は「平治がしばしば危うい状況の登山者を連れて来た」と証言した。 こうした「ガイド犬」の評判が九重連山を訪れる登山者の間で広まり、平治を目当てに登山に来る者が居たり平治用の餌を用意する登山者も居た。また案内を受けた登山者には平治への礼として荏隈に餌代などの金銭を預ける者も多く、そうした人々を記録すべく置かれたのが前述の「平治ノート」である。平治ノートの横には竹筒が置かれ、そこへ登山者たちが入れた金銭で平治の鑑札や予防注射、餌などの費用が賄われたという。 登山客らの噂を聞きつけたテレビ局や新聞社が平治を取材に訪れたこともある。テレビ局の撮影隊が来たとき、彼らの目的が登山ではないと察した平治は荏隈が頼み込んでも動こうとせず、一行が仕方なく登山装備を着用して実際に山に登って初めて、平治のガイドの模様を撮影することが出来た。一方、新聞社の場合はカメラ嫌いな平治は写真を撮ろうとすると逃げてしまうため、カメラマンは物陰に隠れて撮影したという。 平治が「ガイド犬」として活動していた14年間は九重連山での遭難事故は一度も無かったと伝えられる。
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