カロザースの築地大学校
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「築地大学校」の記事における「カロザースの築地大学校」の解説
1869年(明治2年)7月27日 - 米国長老教会の宣教師、クリストファー・カロザース夫妻が来日。横浜のヘボン塾を手伝う。 10月 - 東京へ移り、築地ホテルに滞在。築地南小田原町の日本家屋を改築して居住、英語塾を開く。 1870年(明治3年)- 築地居留地6番A宣教師館に、カロザース夫妻が居住。 1871年(明治4年)- 築地入船に米国のカロザースが英学指導を目的とする私塾を開く。(1872年(明治5年)発行の『新聞雑誌』第69号において、勤学する者は通学或いは学舎を設けて英学を教授する旨を告知し、広く学生を募集した。) 1872年(明治5年)3月 - カロザース夫人のジュリアが女学校を始める。(女子学院の源流の一つ) カロザースが慶應義塾最初の外国人教師を務め、寺子屋風であった慶應義塾のカリキュラムの近代化を進める。 1874年(明治7年) 初夏 - カロザースが従来の英語塾を拡大して、築地居留地に隣接する新湊町4丁目の借家で、寄宿舎付きの英学校である「築地大学校」を設立。教師は、カロザースの他に、スコットランド一致長老教会の宣教師が4人加わった。カロザースの出身校ペンシルベニア州のワシントン大学に倣って化学と宗教を教えた。 1876年(明治9年)- カロザースが官立の広島英語学校に赴任し、「築地大学校」が閉校。
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