カルノーと熱運動論
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「ニコラ・レオナール・サディ・カルノー」の記事における「カルノーと熱運動論」の解説
カルノーが『火の動力』を出版した1823年は、熱の本質は熱素(カロリック)という物質であるという、カロリック説がまだ受け入れられていた。カルノーも『火の動力』では基本的にこの説を取り入れ、熱素という表記を多く使用している。また、カルノーの理論の多くは、当時カロリック説の基本法則とされていた熱量保存則を前提としており、「これを否認することは、熱理論全体を破壊することを意味する。」と記している。 しかし、その文の直後に「ちなみに、熱理論の依って立っているもろもろの原理は、なおいっそうの注意深い研究を要すると思われる。熱理論のこんにちの状態ではほとんど説明できないようにみえる多数の経験事実が存在するのである。」と述べているように、当時の熱理論に全面的な信頼をおいているわけではなかった。 『火の動力』執筆後に書かれた『覚書』では、はっきりと熱運動説に傾いている。そして、「ある仮説が現象を説明するのにもはや十分でないとき、この仮説はすてられるべきである。熱素を一つの物質、ある稀薄な流体とみなす仮説は、まさしくかような仮説である。」と、カロリック説を否定している。その根拠としてランフォードが行った摩擦による熱の発生の実験などを挙げている。さらに、熱の仕事当量の算出も行っている。 カルノー存命時、熱は運動だとする説は徐々に広まりつつあったが、まだ完成された理論形態にはなっておらず、その点ではまだカロリック説の方に分があった。カルノーがカロリック説に疑問を抱きつつも、結局はカロリック説を元に理論を組み立てたのは、こういった時代的背景が原因とも言われている。
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