カラーアニメの登場
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「日本のアニメーションの歴史」の記事における「カラーアニメの登場」の解説
1893年に、今日の映画であるシネマトグラフが発明される以前、フィルムを用いない映像玩具がありアニメーションの元祖とされるが、その一種であるゾートロープを改良したプラキシノスコープを使って1888年からフランスのエミール・レイノーがパリの蝋人形館で「光学劇場」と称して作品を上映していた。その内容は物語付きの数分間のアニメーションと言えるもので、着色も成されたものだったという。 フィルムによるアニメが制作されると、カラーフィルムの発明されるのを待たずに、フィルムに1コマずつ直接着色するという手法で早くからカラーのアニメが制作されている。例えば、ウィンザー・マッケイの短編作品「リトル・ニモ」は1911年の公開である。 1932年にディズニーが初めてフルカラーで製作した『花と木(Flowers and Trees)』を公開して以降、第二次大戦前にはアメリカではカラーによる短編アニメが盛んに製作された。1937年にはディズニーが初のカラー長編アニメ『白雪姫』を製作し、日本では1950年に公開された。 戦後、東映は1956年に日動映画を吸収合併しアニメスタジオ「東映動画」を発足。東映動画は劇場用アニメーション映画の製作を開始し、日本初のカラー長編アニメ映画『白蛇伝』(1958年)が制作され「東洋のディズニー」を目指した目論見通りに日本国外へも輸出された。 なお、『白蛇伝』以前には大藤信郎が色セロファンや千代紙を使った短編のカラー作品を発表している。1952年に製作された『鯨』はカンヌ映画祭の短編部門で2位を受賞した。
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