カザンの象徴として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/28 03:52 UTC 版)
「ユラン (ロシアの伝承)」の記事における「カザンの象徴として」の解説
キプチャク・ハーン国衰退後のカザン地域はテュルク系イスラーム国家であるカザン・ハン国として統治していた。カザン・ハン国の国旗の1つにジラントは採用された。この時のジラントは黒竜の姿で翼も黒である。ロシアのイワン雷帝はカザン・ハン征服後にカザン・ハーンの称号があるこの国旗を紋章として採用したためこの竜伝承と像は後世まで生き残った。ただしロシア風に改めることとなり「1つの頭、4つの鶏の脚、鳥の身体、および蛇の鱗」でジラントを表した。 その結果、竜の表現に一部コカトリスのような表現が混じるドラゴンとなった。1730年国王令は、カザンの紋章ジラントを書き直した。法令により「カザンの金冠で覆われた白いフィールドで赤の翼をした黒い蛇」と説明。これによりジラントはロシア帝国の紋章に組み入れられた。 1991年のソビエト連邦の崩壊以後、タタール系が50%以上住むタタールスタン共和国とモスクワから東に800km離れたタタールスタン共和国の首都カザンは民族主義意識が高揚した。その結果首都カザンは「ユラン」(ジラント)を全面的に打ち出すこととなった。しかし、モスクワの紋章が竜退治の聖ゲオルギウスであり、竜退治の紋章であることから一部には反発が出たことも事実である。タタールスタン側から見ると、「モスクワに征服されたカザン」とも読み取れるからである。しかしモスクワの象徴がロマノフ朝の鷲であるのに対し、タタールの象徴であるカザンはドラゴンが象徴となった。なぜならカザンを守っている竜であることに変わりはなく都市とタタール系民族の象徴だからである。この点はウェールズ民族意識の象徴である赤い竜と変わりがない。現在はタタールスタン共和国独立運動は一応収束し、タタールスタン共和国はロシア連邦の一員となっている。 今ではジラントはカザン市のいたるところに絵や銅像があり、市民に親しまれている(地下鉄構内の通路天井にもジラントが描かれている)。
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