カクレキリシタンとオラショ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 18:22 UTC 版)
「オラショ」の記事における「カクレキリシタンとオラショ」の解説
日本に伝来したキリスト教に対して江戸幕府は、本格的な禁教令を出して取り締まった。こうしたキリシタン禁制の江戸時代において、棄教しなかった信徒達は隠れキリシタンと呼ばれた。オラショの字義的意味は世代による伝承のうちで失われたが、仏教徒や神道など日本の伝統宗教の信者として振舞いながら、信者は密かに「おらしょ」を唱えた。また、メダイやロザリオ、聖像聖画、クルス(十字架)などの聖具を秘蔵し、生まれる子に洗礼を授けるなどして信仰を守った。幕末の開国、更には明治政府によるキリスト教解禁後、こうしたキリシタンの多くは再宣教のために来日したパリ外国宣教会によってカトリックに復帰した。長崎県などにはその後もカトリック教会に属さず、土俗化した信仰を保有しているキリシタンも存在する。現代の学術研究では、禁教下の信徒を「潜伏キリシタン」と総称し、明治以後もカトリックに合流しなかった人々を「カクレ(かくれ)キリシタン」とする呼び方もある。 禁教前においても、宣教師がもたらしたキリスト教の教えや伝承、儀式などは、それ以前から日本にあった諸宗教や民俗、習慣、文化から影響を受けて変容したり、並存したりしていた。現代(2010年代)においても生月島(長崎県平戸市)などでは、カクレキリシタンの儀式を守る人々がいる。家庭でオラショを唱えて拝む場には、神棚や仏壇も並んでいる場合もある。
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