オ段甲乙の衰退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 09:02 UTC 版)
モ甲乙 少なくとも古事記では上代特殊仮名遣がモについても区別されているとするのは有坂秀世・池上禎造以来の定説である。この区別はのちの時代には失われた。 ホ甲乙 ホ甲乙は少なくとも古事記に存在し、のちに衰退したとしばしば主張される甲乙(ホ・オ・チ・シ)のうち、その使い分けの広範さと与えられる内的な支持から最も有力なものである。 これを最初に指摘したのは国学者の石塚龍麿であり、昭和初期に入ると永田吉太郎が『国語と国文学』にこの証明の試みである「古事記におけるシ・オ・ホの文字遣について」(1934年)と「上代国語に於けるオ列音の本質」「古事記のホの仮名における雑考」(両論文1935年)の三論文を発表した。戦後、1957年には馬渕和夫が「『古事記』のシ・オ・ホの仮名」(『國語學』)を、1962年には大野透が『上代特殊仮名遣の研究』を、1965年には福田良輔が『奈良時代東国方言の研究』を発表し、めいめいの視点から存在を主張した。馬渕和夫に対して森山隆が1971年に『上代国語音韻の研究』で反論したほかは、しばらくの間この議論に進展はなかった。20世紀の終わりになると、ジョン・ベントリーが「Mo and Po in Old Japanese」(1997年ハワイ大学マノア校修士論文、未出版)で日本書紀β群においてもモ甲乙とホ甲乙が区別されていることを指摘し、マーク・ミヤケも2003年の『Old Japanese』(ラウトレッジ)でこれを支持し、近年ではアレクサンダー・ヴォヴィンもこれを認めている。国内でもアメリカでの流れとは独立に、2005年に犬飼隆がこれを支持する研究成果を成書で発表した。
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