オルトリズムとエゴイズム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/19 16:50 UTC 版)
「フィリア」の記事における「オルトリズムとエゴイズム」の解説
ウィクショナリーに関連の辞書項目があります。en:altruism ウィクショナリーに関連の辞書項目があります。en:egoism アリストテレスによると、相手のための最高のフィリア形態を感覚するために、人は自分自身のためにそれを感覚しなければならない。フィリアの対象は、結局、「もう一人の自分自身」である。ただしこれだけではアリストテレスのエゴイズムにはコミットしない。自己への愛は他者への愛と両立しないことがないだけでなく、アリストテレスは、非難される種類の自己への愛と、賞賛される自己への愛の区別に注意を払っている。 非難される種類の自己への愛に属するのは: 「最大規模の資金、名誉があり、自分たちの遊興に全てつぎ込む人々。それらの人々にとっておよそ物とは、彼らがベストと想定する様々な手段で、執念深く追い求められ、欲しくて仕方がないのである。」 (1168b17–19) 賞賛される自己への愛に属する人は: 「正しいまたは節度ある行動か、徳に従ったその他の行動を、常に熱意を持って全力で成し遂げる。そして彼自身のために素晴らしい [立派で、善の] ことを常日頃から獲得している。」 (1168b25–27) 実際に: 「良い人間は自己を愛する者である。彼は彼自身を助けるとともに、善の行為を成し遂げることにより他者にも利益をもたらすからである。しかし、悪意ある人間は彼自身を決して愛さない。彼は、彼の根底にある感情に突き動かされ、彼自身を憎むとともに、隣人たちを憎んでいるからである。」 (1169a12–15) アリストテレスはまた抱いているが、ヒューゲスの指摘では: 「何かをする唯一の究極的に正当な理由は、そのような行動が、満たされた人生に寄与するかということである。」 このようにしてフィリアの行動は基本的にエゴイズムのようである。同時にオルトリズム(利他主義)のようであり、一見すると他者を助けることを成し遂げている。実際は自主性 (agent) の幸福を増加する傾向にある。しかしそれは動機と行動の道理に混乱をきたす。良い人間は、もし友人を助けないことで自分が満たされるならば、彼女は友人を助けない。彼女は友人を助けるためゆえに、友人を助けない。そして、助けなかった結果、彼女の友人と彼女自身とに幸福をもたらす。こうして、助けない行動は、それ自体が善でありまた、自主性 (agent) の幸福に対する影響への善である。 「利他的行動」も参照
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