オットー・フランクの会社で勤務
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 10:21 UTC 版)
「ミープ・ヒース」の記事における「オットー・フランクの会社で勤務」の解説
そんな中、オットー・フランクが所有・経営するジャムに使うペクチンを製造する会社「オペクタ」で女性事務員が病気になったため、その臨時社員を探しているという話を聞いた。ミープは「オペクタ」社へ赴き、オットーの面接を受けた。即採用され、オットーの指示でその日から2週間ほど会社の台所でジャム作りに専念し、一通りのジャムの知識を獲得した。 ついでオットーはミープに「苦情受け付け兼案内デスク」を任せ、ジャムの消費者である主婦の苦情や相談にのる仕事を与えた。次第にそれ以外にも様々な仕事を任されていった。もともとは臨時社員として入社したミープだったが、病欠していた女性従業員が戻った後もそのまま雇用された。ミープはやがて社内に欠かせない「何でも屋」になった。コーヒー入れ、簿記やタイプの仕事、電話や文書での苦情や問い合わせへの回答、オペクタの広告、マーケティングまで幅広く行うようになった。 やがてオットーと個人的にも親しくなり、1937年には恋人のヤン・ヒースとともにフランク家の自宅の食事会に招かれた。その席でアンネとマルゴーに出会った。ミープは、オットーの妻エーディトが1933年に会社にあいさつに訪れた際に幼いアンネと一度会っているが、マルゴーと会うのはこの時が初めてだったという。これ以降ミープとヤンはしばしばフランク家の食事に招かれるようになった。 1938年には故国オーストリアがドイツに併合された。これによりミープが毎年行っていた警察・外国人登録事務所でのパスポートの更新にあたってドイツ領事館へ行くよう指示を受けた。そこでこれまでのオーストリアのパスポートからドイツのパスポートに代えられ、彼女は書類上ドイツ国籍となった。
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