エルヴィス・プレスリーのカバーとは? わかりやすく解説

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エルヴィス・プレスリーのカバー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 17:56 UTC 版)

マイ・ウェイ」の記事における「エルヴィス・プレスリーのカバー」の解説

エルヴィス・プレスリーは、1970年代半ばからコンサートでこの曲を歌い始めた1973年1月12日から14日にかけて、プレスリー世界同時生中継番組アロハ・フロム・ハワイ」でこの曲を歌い、その模様インテルサットを介して43か国に中継され、特にヨーロッパでゴールデンタイムだった。なお、アメリカ本土では4月14日ゴールデンタイムNBCから放送され全部世界10億人々視聴者した。 彼の死の数週間後である1977年10月3日、「マイ・ウェイ」のライブ・バージョン1977年6月21日CBS特別番組Elvis In Concert」の録音)のシングル発売された。アメリカビルボード・ホット100ではフランク・シナトラ・バージョンを上回る22位を記録し、ビルボード・アダルト・コンテンポラリー・チャートでは 6位となり、50万枚売上記録してゴールド認定された。翌年には、ビルボード・カントリー・シングル・チャートで 2位記録したのに対しキャッシュボックスのカントリー・シングル・チャートでは 1位を記録したイギリスでは、全英シングルチャートで 9位記録した1971年6月10日ナッシュビルRCAスタジオBエルヴィスはこの曲を録音したが、ヴォーカル重ね録音をしている時に女性バックコーラスに対してエルヴィス怒り50回もこの曲やってきたのに、お前達はまだ自分パートわかってないじゃないかと言ってマイク放り出しスタジオ出て行ってしまい、それがナッシュビルRCAスタジオBでの最後録音になってしまった。この録音1995年発売されボックス・セット「ウォーク・ア・マイル・イン・マイ・シューズ ジ・エッセンシャル70’Sマスターズ」で、発表されるまでお蔵入りしていた。

※この「エルヴィス・プレスリーのカバー」の解説は、「マイ・ウェイ」の解説の一部です。
「エルヴィス・プレスリーのカバー」を含む「マイ・ウェイ」の記事については、「マイ・ウェイ」の概要を参照ください。

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