エルヴィス・プレスリーのボディガード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 15:02 UTC 版)
「デル・ソニー・ウェスト」の記事における「エルヴィス・プレスリーのボディガード」の解説
ウェストの従兄弟にあたるロバート・ジーン・"レッド"・ウェスト (Robert Gene "Red" West) は、プレスリーと高校の同級生で、プレスリーの成功とともにおもに運転手としてプレスリーの身近で働くようになっていた。パーティーでレッドからプレスリーに紹介されたのをきっかけに、ウェストはプレスリーに雇われることとなり、メンフィス・マフィア (Memphis Mafia) と通称されたプレスリーの取り巻きのひとりとなった。ボディガードの中心としてプレスリーの身近にいることが多く、1972年にプレスリーが当時のニクソン大統領に会見した際にも、プレスリーに呼び寄せられ、ジェリー・シリング (Jerry Schilling) とともにこの会見に同席した。 プレスリーが空手に入れ込んでいたことから、ボディーガードたちも空手を習っており、ウェストは空手をしている時はプレスリーから「イーグル (Eagle)」と呼ばれていた。プレスリーの依頼で指導に当たったビル・ウォーレス (Bill Wallace) は、後に、ボディガードたちの中ではレッド・ウェストは比較的真剣に空手に取り組んでいたが、他はそうでもなかったと、スパーリングの経験を踏まえて回想している。 1971年にウェストが結婚した際には、結婚式でプレスリーが花婿付き添いを務め、通常は未婚女性の役割である花嫁付き添いをプレスリーの妻プリシラが務めた。 ウェストを含む、おもだったボディガードたちは、プレスリーの死の前年である1976年7月13日に、プレスリーの父ヴァーノンによって解雇された。レッド・ウェストとソニー・ウェストは、同様に解雇されたデイヴ・ヘブラー (Dave Hebler) とともに、『ニューヨーク・ポスト』紙の記者スティーヴ・ダンリーヴィー (Steve Dunleavy) のインタビューに応じ、その内容をまとめた、プレスリーの薬物使用などに言及した内容の暴露本『Elvis: What Happened』が、プレスリーの死の直前に出版され、プレスリーの死後に広く読まれることになった。大きな反響とともに、ウェストたちは、プレスリーのファンたちからの批判の矢面に立たされた。後にウェストは、この本について、ファンを喜ばすために本を作ったわけではなく、まだ存命であったプレスリーの健康を危惧して実態を公表したのだと述べた。 ウェストは2007年に、ジャーナリストであるマーシャル・テリル (Marshall Terrill) の助力を得て、プレスリーについての本『Elvis: Still Taking Care of Business』を出した。
※この「エルヴィス・プレスリーのボディガード」の解説は、「デル・ソニー・ウェスト」の解説の一部です。
「エルヴィス・プレスリーのボディガード」を含む「デル・ソニー・ウェスト」の記事については、「デル・ソニー・ウェスト」の概要を参照ください。
- エルヴィス・プレスリーのボディガードのページへのリンク