プレスリーの死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 14:22 UTC 版)
「トム・パーカー (マネージャー)」の記事における「プレスリーの死」の解説
1977年8月、ツアーに出かけることになっていた日の前日に、プレスリーは死んだが、一説には、パーカーは何事もなかったかのように振る舞っていたという 。また別の説では、彼は椅子に崩れ落ちて「なんてこった (oh dear God)」とつぶやき、直ちにプレスリーの父ヴァーノンに連絡を入れ、プレスリーのイメージを損なわないよう助言したという。 これからどうするのかと記者に問われたパーカーは、「なぜそんな、彼をマネジメントし続けるだけだよ! (Why, I'll just go right on managing him!)」と答えた。第一報とほぼ同時に、グレイスランドを訪れるより先に、パーカーはニューヨークへ向かい、マーチャンダイス関係の取引先やRCAの幹部と会い、プレスリー関連商品への巨大な需要が生じるから準備するように指示をした。その後、直ちにメンフィスで行なわれたプレスリーの葬儀に向かった。弔問客たちは、パーカーが、ハワイのアロハシャツに野球帽姿で、トレードマークの葉巻をくゆらせて現れ、棺を担うことを意図的に避けたことに、驚かされたという。葬儀の場で、パーカーはヴァーノンを説得して、プレスリーの死に関わる事業の管理を自分に委ねるという契約に署名させた。 1978年9月、プレスリーの一周忌の直前に、パーカーはファンたちの集う「オールウェイズ・エルヴィス (Always Elvis)」という行事を開催し、その場で、パーカー自身とヴァーノン、プレスリーの元妻プリシラによって、ラスベガス・ヒルトンのロビーに、プレスリーのプロンズ像を献納した。
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