エリトリア国境紛争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 06:53 UTC 版)
「MiG-29 (航空機)」の記事における「エリトリア国境紛争」の解説
(エチオピア:Su-27 2機/エリトリア:MiG-29 4機)1999年2月25日に行われた戦闘は、まず、エリトリアのMiG-29が、前線を哨戒飛行中であったエチオピアのSu-27をバドメ上空で迎撃したところから始まった。エチオピアのSu-27は当時配備間もなく、エリトリア側のパイロットたちはこれを排除せねばならないと考えていた。まず、MiG-29はR-27中距離レーダー誘導空対空ミサイル数発を敵機へ発射したが命中せず、逆にSu-27は引き返して搭載するR-27全弾を発射して反撃した。しかしながら、これもすべて命中せず、接近戦に縺れ込むこととなった。その結果、R-73短距離赤外線誘導空対空ミサイルによってエリトリアのMiG-29が1機撃墜されたとされる。その後、エリトリアは、さらに2機のMiG-29を失ったとされる。なお、エチオピアのSu-27は、2機ともエチオピア人による操縦で、エリトリアのMiG-29は、ウクライナ人教官とエリトリア人による操縦であった。 1999年2月25日の空中戦の24時間後、同空域においてMiG-21による攻撃部隊を護衛中のエチオピアのSu-27S 1機が、アスマラ方面から飛行してきたエリトリアのMiG-29UB練習戦闘機1機を撃墜しているが、この際のSu-27Sパイロットは女性(Capt. Aster Tolossa)であったとされる。ただし、ここでも情報は錯綜しており、撃墜したのは彼女ではなく、また、エチオピアで初の女性パイロットが誕生したのは2004年6月であり、プロパガンダに過ぎないとするものや、彼女は撃墜したのではなく強制着陸させたのであるとする情報もある。 エリトリアは、その後それ以上MiG-29の損失を増やすことを避けるため、敢えてSu-27に空中戦を挑むことはなくなったとされる。また、その後MiG-29を追加購入するとともに、Su-27をウクライナから導入している。こうした一方、近年アスマラで行われたエリトリア独立10周年記念パレードでは、数機のMiG-29がMi-8やAB.412とともに上空パスを行う様子がテレビで放映され、エリトリアはMiG-29の健在をアピールしている。 情報が錯綜しているため、以下のような異説がある。 エチオピアのSu-27が撃墜された。 エチオピアのパイロットはエチオピア人ではなくロシア人である。 ACIG には以下のような戦闘結果が掲載されている1999年2月25日、エチオピア空軍第5飛行隊に所属するロシア人傭兵操縦のSu-27が、合計6発のR-27でエリトリア空軍第5飛行隊のMiG-29を2機撃墜、R-73で1機撃墜。 同年2月26日、Su-27が、R-73若しくは30mm機関砲でMiG-29を1機撃墜(Asther Tolossa撃墜と言われているもの)。 同年5月18日、パイロット不明のSu-27が、合計4発のR-27でMiG-29を2機撃墜。 2000年5月16日、エチオピア人パイロット操縦のSu-27が、2発のR-27でMiG-29を1機撃墜。 同年5月18日、エチオピア人パイロット操縦のSu-27が、2発のR-73でMiG-29を1機撃墜。 以上Su-27とMiG-29の間での交戦記録に関するもの 同ソース より、これ以外の同期間におけるMiG-29関連の戦闘結果は以下のように紹介されている1999年2月25日、エリトリア空軍第5航空隊に所属するパイロット不明のMiG-29が、2発のR-27でエチオピア空軍のMiG-23を1機撃墜。 同年2月26日、エチオピア人義勇兵が合計2発のR-73でMIG-21を2機撃墜。 2000年5月18日、エリトリア人パイロットが2発のR-27でMiG-21を1機撃墜、GSh-30-1 30mm機関砲でMiG-21を1機撃墜。
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