エスプリ誌
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本格的に活動を再開したのは1945年1月、カトリックの哲学者エマニュエル・ムーニエが1932年に人格主義の運動の機関誌として創刊した『エスプリ』誌 の刊行を引き受けたときからである。フラマンはパリ6区ジャコブ通り(フランス語版)27番地(サン=ジェルマン=デ=プレ)のグリーユ館を購入し、1945年10月1日にここに移転した。グリーユ館はかつて多くの画家や作家が住んだ建物で、壁には画家アングルの素描が残っていた。ウジェーヌ・アジェが撮影した写真も残されているが(カルナヴァレ博物館蔵)、こじんまりした建物で、小さい中庭にはイチイの木が1本あった。スイユ社のロゴはこの古い建物をデザインしたものである。 最初の重要な刊行物は、シュルレアリスムの歴史を戦間期の芸術的、政治的、社会的な背景の中に位置づけ、ファシズムの台頭、反ファシズム統一戦線としての人民戦線の結成などとの関連における知識人の運動として再検討したモーリス・ナドー(フランス語版)の『シュルレアリスムの歴史』(1945年)、サド再評価の契機となったピエール・クロソウスキーの『わが隣人サド』(1947年)、英仏翻訳家ピエール・レリス(フランス語版)による1947年のT・S・エリオット(翌1948年、ノーベル文学賞受賞)の詩の翻訳 などであった。
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