ウルバヌス8世とガリレオ裁判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/02 03:17 UTC 版)
「ウルバヌス8世 (ローマ教皇)」の記事における「ウルバヌス8世とガリレオ裁判」の解説
詳細は「ガリレオ・ガリレイ」を参照 ウルバヌス8世はガリレオ裁判と縁が深い。元々教皇即位前のウルバヌス8世とガリレオは親しい友人であった。ガリレオはパウルス8世(在位:1605年 - 1621年)によって批判され、ウルバヌス8世の時代になって再び異端者として糾弾された。1623年のガリレオの著作『贋金鑑識官』はウルバヌス8世の支援で出版され、同書は教皇に献呈されたものであったにもかかわらず、ガリレオは自説を放棄させられた。 1616年…ガリレオに対するローマ教皇庁異端審問所の第1回宗教裁判。ガリレオは地動説を唱えないよう、注意を受ける。この際、枢機卿時代のウルバヌス8世も裁判に参加している。 1623年…ガリレオの『贋金鑑識官』がウルバヌス8世への献辞をつけて刊行。 1632年…『天文対話』刊行。地動説論者、天動説論者、中立派の3人による対話という形式で書かれている。教皇庁の許可を受けての出版であるが、物分りの悪い人物として描かれている天動説論者はウルバヌス8世をあてこすったものだという讒言があり、教皇を怒らせたという。 1633年…ガリレオに対する第2回宗教裁判で異端の判決が下される(終身刑とされるが、直後にトスカーナ大公国(フィレンツェ)ローマ大使館での軟禁に減刑)。 なお、P.G.マックスウェル・スチュアートは、ウルバヌス8世が天動説への共感や確信によりガリレオを断罪したというよりは、当時としては異端の臭いのする地動説に何か怪しさを感じただけにすぎなかっただろうと述べている。
※この「ウルバヌス8世とガリレオ裁判」の解説は、「ウルバヌス8世 (ローマ教皇)」の解説の一部です。
「ウルバヌス8世とガリレオ裁判」を含む「ウルバヌス8世 (ローマ教皇)」の記事については、「ウルバヌス8世 (ローマ教皇)」の概要を参照ください。
- ウルバヌス8世とガリレオ裁判のページへのリンク