ウッディー・ウッドペッカーの誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 10:12 UTC 版)
「ウォルター・ランツ」の記事における「ウッディー・ウッドペッカーの誕生」の解説
1940年、ランツは女優グレース・スタッフォードと再婚した(最初の妻はドリス・ホリスターで、子供もいた)。同年、ウッディー・ウッドペッカーがアンディ・パンダの作品Knock Knockに初登場した。ランツ自身が語ったところによると、彼は新婚旅行中にアイデアを思いついたという。彼と妻はキツツキが絶え間なく宿の屋根をつついているのが聞こえた。グレースはこの鳥をカートゥーンキャラクターとして使うことを提案したという。少し懐疑的ではあるが、彼女のアドバイスにより、初期のダフィー・ダックに似たぶしつけなキツツキのキャラクターが作られたという。ウッディーはすぐに人気になり、1941年には自分のシリーズを持つようになった。 ウッディー・ウッドペッカーの声は彼がワーナーとの独占契約を結ぶまではメル・ブランクが演じた。その後はダニー・ウェッブ(2作品のみ)、ケント・ロジャース(英語版)、彼の第二次世界大戦による徴兵後はベン・ハーダウェイ(英語版)が演じたが、ウッディーの独特な笑い声は1951年までブランクのものが流用され続けた。 この頃人気だったもう一つのシリーズがScrub Me Mama with a Boogie Beat(現在では人種に関するステレオタイプであるという論争がある)、Boogie-Woogie Bugle Boyの成功で始まった「Swing Symphony」という音楽を題材にしたシリーズである。作品には有名なミュージシャンが出演していた。このシリーズはビッグ・バンドの時代が終わりを迎えていた1945年に終了した。 また、この頃はディズニーの白雪姫が成功を収めた時であり、ウォルター・ランツ・プロダクションズもAladdin and His Lamp(アラジンと魔法のランプ)という長編作品を作ろうとしていた。声優はコメディー・デュオアボットとコステロが出演する計画だった。しかし、バッタ君町に行くの失敗後、この作品は制作されることはなかった。数十年後、ランツは長編映画の制作を再び試みたが、実現しなかった。
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