Boogie-Woogieとは? わかりやすく解説

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ブギ‐ウギ【boogie-woogie】

読み方:ぶぎうぎ

1920年代米国黒人ピアニストによって創始された、ピアノによるブルース演奏形式の一。1小節8拍のリズムの上旋律自由に奏されるもの。ブギ


ブギウギ[boogie woogie]


ブギウギ

(Boogie-Woogie から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/04/27 15:29 UTC 版)

ブギウギ
様式的起源 ブルース
文化的起源 19世紀末、アメリカ合衆国テキサス州北東部
派生ジャンル
融合ジャンル
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ブギウギboogie-woogie)は、ブルースのサブジャンルの一つであり、1920年代末頃に人気を博した。その原型はアフリカ系アメリカ人のコミュニティの中で1870年代頃から存在していたとされる[1]。当初はソロ・ピアノで演奏される音楽であったが、ドラムスギターなどを加えたデュオ、トリオ・スタイル、あるいは大編成のビッグバンドへと発展した。一般的にブルースは様々な感情を表現するものであるが、ブギウギは基本的にダンス・ミュージックである[2]。ブギウギは、リズム・アンド・ブルースロックンロールに大きな影響を与えた。

テキサスでは「ファスト・ウェスタン (fast western)」と称されるピアノ・スタイルが生まれ、これがブギウギの起源になったと言われる。ラグタイムカントリー・ブルースから派生したブギウギのリズムは、ディープ・サウスを走る蒸気機関車が発するリズミカルな音を想起させるものであった[3]

音楽学者、専門家によると、アフリカ系アメリカ人のピアニストたちは、テレビン油を採取する労働者のキャンプを往来し、バーで明るいブルースを演奏することによって厳しい環境で働く労働者を楽しませていたのだという。このような環境でブギウギ・ピアノの音楽は更に洗練され、また多様化していったのである[4]

ブギウギの人気は1930年代には一旦衰えたものの、1940年代には世界中の聴衆に届き、人気が再燃することとなった。最も有名なアーティストにはブギウギ・トリオとして知られたピート・ジョンソン、アルバート・アモンズ、ミード・ルクス・ルイスがいた。ブギウギ最盛期のその他のピアニストとしてはモーリス・ロッコとフレディ・スラックがいた。また、この時代にはハダ・ブルックス、ウィンフレッド・アトウェル、マーサ・デイヴィス、ヘイゼル・スコットら多くの女性ブギウギ・ピアニストも活躍している。後の時代にはケイティ・ウェブスターなどもブギウギ・ピアノを売りとして活躍した。

音楽的特性

ブギウギは、分散和音でベースラインを奏でる左手の演奏によって特徴づけられる。この演奏はコード進行にベースラインが変わっていく。

 Play[ヘルプ/ファイル]

ブギウギは、ピアノのソロ演奏によるスタイルとは限らない。歌を伴奏する形、あるいは楽団、小編成のコンボなどでフィーチャーされる形もある。ブギウギは、「エイト・トゥ・ザ・バー(1小節に八分音符が8つの意)」と称されることもある。これは多くの場合決まった拍子(4/4)で八分音符刻みで演奏されることから来ている。コード進行は基本的にはIIVVIであるが、I/iIV/ivv/Iなど、多くのバリエーションが存在する。

多くの楽曲において、ブギウギは12小節ブルースに基づいているが、そのスタイルは「スワニー河 (Swanee River)」などのポピュラー音楽、「主は汝と共に歩み給う(Just A Closer Walk With Thee)」などの讃美歌の演奏にも応用されている。

ブギウギのベースラインの典型例:

 Play[ヘルプ/ファイル]

歴史

1870年代 – 1930年代

ブギウギの語源としていくつかのアフリカ系言語の用語が挙げられている:

  1. ハウサ語の用語「ブーグ(boog)」および
  2. マンディンカ語の用語「ブーガ(booga)」(両者とも打楽器などを叩くことを意味する)
  3. 踊ることを意味する西アフリカの用語「ボギ(bogi)」[5]
  4. バントゥー語群の用語「ムブキ・ムヴキ(Mbuki Mvuki)」。ムブキは飛行のテイクオフ、ムヴキは服が脱げるほど激しくダンスすることを意味する[6]

ブギウギという音楽がアフリカ系アメリカ人発祥のものであることを考えれば、ブギウギという名称もこれらアフリカ系言語由来である可能性はある。

1900 年以前の楽譜文献については、米国議会図書館のアーカイブ所蔵の文献のタイトルに少なくとも3つ「boogie」という単語が含まれている[7]。1901年に「Hoogie Boogie」と題した楽譜が出版された。これは、楽譜のタイトルにおいて「ブギ」という単語が繰り返される形で使用された最初の例と知られている。(1880年に出版された楽譜には「The Boogie Man」と題したものがある。)レコーディングに最初に「ブギ」という用語が登場したのはエジソンが1913年に行なったアメリカン・カルテットによる「That Syncopated Boogie Boo」の蝋管(ブルー・アンベロール)録音だと考えられている[8]オックスフォード英語辞典には、「boogie」を反復する用法は1913年にまで遡り、レント・パーティー(家賃を捻出するために開催されたホーム・パーティーのこと)で使用されていたと記載されている。

「ブギ」という用語が次に登場するのは、ウィルバー・スウェットマンが1917年4月に行なった「Boogie Rag」のレコーディングのタイトルである。但し、これら初期の「ブギ」という用語の使用例は、楽譜や残されたレコーディングを確認しても、ブギウギと認識できる音楽的要素は含まれていない。

1915年出版のアーティー・マシューズの「Weary Blues」にはブギウギのベースラインが含まれており、ディキシーランド・ジャズのバンド、ルイジアナ・ファイヴによる1919年に行なわれた同曲のレコーディングも同様であった。ブギウギに詳しいミュージシャンのジョン・テニソンは、この1919年のレコーディングをブギウギのベースラインが含まれる最古のレコーディングであるとしている。

ブラインド・レモン・ジェファーソンは、「Match Box Blues」に使用したギターによるベースラインを「Booga Rooga」と呼んだ[9]。ジェファーソンは、この用語をハディ・"レッドベリー"・レッドベターから聞いた可能性もある。レッドベリーは彼と頻繁に共演をしていた。

レッドベリーは、ルイジアナ州ムーリングスポートの出身であり、テキサス州ハリソン郡のコミュニティ、リー(Leigh)で育ったが、彼が初めてブギウギ・ピアノを耳にしたのは1899年テキサス州北東部のキャドー湖でのことだったという[10]。彼のギターのプレイにブギウギが影響を与えたと彼は語っている。レッドベリーは、ルイジアナ州シュリーヴポートのファニン・ストリート地区でもブギウギ・ピアノを聴いたと証言している。彼が聴いた演奏者の中には1937年にデッカよりブラック・アイヴォリー・キングの名でレコーディングをしたデイヴ・アレクザンダー[11]、およびパイン・トップと名乗るピアニストがいた。この人物は1904年以降の生まれであったパイン・トップ・スミスは別人であり、パイン・トップ・ウィリアムズ、あるいはパイン・トップ・ヒルであると考えられる[10][12]。レッドベリーは、ブギウギ・ピアノの転がるベースラインを取り入れた最初のギター・プレイヤーの一人と見なされている。

テキサス州がブギウギの発祥の地であることは、ジェリー・ロール・モートンの証言でも裏打ちされている。彼は20世紀初頭にブギー・ピアノのスタイルをこの地で聴いたと言い、ロゼッタ・ライツによれば、レッドベリー、バンク・ジョンソンも同様の証言をしているという[13]

リリースされたレコードに、今日使われている「boogie-woogie」という表記が初登場したのは、パイン・トップ・スミスの1928年12月のレコーディング「Pine Top's Boogie Woogie」だと考えられる。この曲にはブギウギのダンスのしかたを指南する歌詞が含まれている[14]

ブギウギの発祥地に関する記録が残る最も古い調査は1930 年代後半に行われており、その時点で存命だったアフリカ系とヨーロッパ系双方の最高齢のアメリカ人から歴史について調査を聞き取りをしている。これにより、ブギウギ・ピアノは1870年代初頭のテキサス州で最初に演奏されたとする幅広い意見の一致が明らかになっている。更には、その期限をテキサス州北東部の針葉樹林であるとする証言もある。

ブギウギ、あるいはハウス・レント・ミュージックと呼ばれる音楽を演奏し、他の黒人たちがジャム・セッションを繰り広げる都市のスラム街で注目を集めた最初の黒人たちはテキサス出身でした。そして、古き時代のテキサスの人々は黒人白人を問わず皆、ブギ・ピアノが最初に演奏された場所については、製材業やテレビン油を採取するキャンプで、誰も家にいない場所でのことだったと口を揃えて言います。この音楽のスタイルは1870年代初頭にまで遡ります[1]
エリオット・ポール、「That Crazy American Music」 (1957年)

「ファスト・ウェスタン」と呼ばれたブギウギ

マックス・ハリソン[15]、並びにマック・マコーミック[16]はブギウギは当初「ファスト・ウェスタン(Fast Western)」の名前で知られるようになったと結論付けている。彼らによると、ヒューストンダラスガルヴェストンといった地域では全ての黒人のピアノ奏者はこのスタイルでプレイしたという。このスタイルは、ニューオーリンズセントルイスのスロー・ブルースと区別するため、しばしば「ファスト・ウェスタン」あるいは「ファスト・ブルース」と称された。人の集まりではラグタイムやブルースが演奏されたが、曲の解釈を聴くことによって、演者の出身地、更には町の名前までわかったという[17]

1986年にジョン・テニソンが行なったリー・リー・サリヴァンへのインタビューで、サリヴァンはブギウギ全般を指す言葉として「ファスト・ウェスタン」、「ファスト・テキサス」という用語は認識しているものの、これはブギウギで使用される特有のベースラインを示す言葉ではないと語っている。サリヴァンによると、「ファスト・ウェスタン」、「ファスト・テキサス」はハリソン郡のテキサス・ウェスタン鉄道会社に由来する言葉であるという[18]。同社は1852年2月16日に設立され、1856年に「サザン・パシフィック」に改名している。同社は、1857年、テキサス州マーシャルから同州キャドー湖のスワンソンズ・ランディングまでの区間(約40キロメートルほど)に最初の線を引いている[19]。(このテキサスに本社を構えたサザン・パシフィックは、サンフランシスコに本社があったより知名度の高いサザン・パシフィック鉄道とは関係はなかった。)テキサスのサザン・パシフィックは、新たに設立されたテキサス・アンド・パシフィック鉄道によって1872年に買収された[20]

サリヴァンによると、テキサス・ウェスタン鉄道会社はサザン・パシフィックに改名したものの、レール敷設工事を行なっていた奴隷たちの間では「テキサス・ウェスタン」の名は、浸透していたという[18]

テキサス州マーシャルからハリソン郡までの鉄道の開通

ブギウギ発祥の地を特定するための鍵はブギウギの音楽と蒸気機関車の関係性を理解することにある。それは、蒸気機関車が発する音がブギウギにどのような影響を与えたか、そして鉄道が突如開通したことが文化へどのような影響を与えたかという2つの意味で重要である。

テキサス州北東部に開通した鉄道線は、北部や東部からの既存の線の延長によるものではなかった。最初の蒸気機関車と鉄のレールはニューオーリンズから蒸気船に乗り、ミシシッピ川レッド川、キャドー湖を通って、ルイジアナ州とテキサス州の州境に位置するスワンソンズ・ランディングに到着した。ブギウギが演奏されるようになった当時、マーシャルはテキサス州北東部の針葉樹林に存在する唯一の鉄道の中心地であった。突如現れた蒸気機関車と、伐採作業を支える幹線および支線の敷設は、音楽の音とリズムに重要な役割を果たした。また、鉄道はこの音楽スタイルが郊外のバレルハウスのキャンプからテキサス・アンド・パシフィック鉄道が運行する各都市や町へと急速に広がる手段ともなったのである。

隣接するアーカンソー州、ルイジアナ州、ミズーリ州からもブギウギ奏者が誕生し、彼らはブギウギの楽曲も生み出した。また、シカゴはジミー・ヤンシー、アルバート・アモンズ、ミード・ルクス・ルイス などのピアニストの活躍によりこの音楽の中心地として知られるようになったが、テキサス州には製材業、畜産業、テレビン油産業、石油産業というブギウギ・スタイルを生み育てた環境が存在した。これらの産業は全て、東テキサスの北端からメキシコ湾岸、ルイジアナ州境からダラスや西テキサスまで広がる鉄道網によって支えられていた[21]
デイヴィッド・オリファント、「Texan Jazz」 (1996年)


アラン・ローマックスは以下の通り記述している:

苦難から逃れたい一心で列車に乗った無名の黒人ミュージシャンたちは、蒸気機関車のリズムと口笛の音色を、彼らがジューク・ジョイントやダンスホールで演奏した新しいダンスミュージックに取り入れた。不器用な黒人ピアニストたちがピアノという楽器をポリリズムの鉄道列車へと変貌させたことにより、ブギウギはピアノの奏法に決定的な変化を与えたのだった[22]

1986年、ブギウギについて取り上げたイギリスのテレビ番組「The South Bank Show」の中で、音楽研究家のポール・オリヴァーは以下の通り語っている:

製材キャンプからピアニストたちが騒々しく乗り込んできて、ちょっとした話を聞かせた後、列車から飛び降りて別の製材キャンプに行き、またバレルハウスで8時間に渡って演奏するということを繰り返していた状況に、車掌たちは慣れっこになっていました。こうして音楽はテキサス中に広まり、最終的には当然のことながらテキサスを超えて広まっていきました。この新しい形式のピアノ音楽はテキサスからもたらされましたが、それはルイジアナ方面へと広がったのです。それはジョージ・W・トーマスのような人々によってもたらされました。彼は1910年頃にはニューオーリンズに住んでおり、後にブギとして知られるようになった音楽の特徴を持つ「New Orleans Hop Scop Blues」を作曲した初期のピアニストです[5]

ポール・オリヴァーはまた、「New Orleans Hop Scop Bluesは、タイトルにニューオーリンズと入っているにもかかわらず、ジョージ・W・トーマスが東テキサスで聴いたピアニストが演奏するブルースをベースに作曲した」とも書いている[23]。2007年2月12日、オリヴァーがジョン・テニソンに語ったところによると、ジョージ・トーマスの「Hop Scop Blues」が東テキサスのピアニストによる演奏を基に作られたとオリヴァーに教えたのはシッピー・ウォレスだったという[24]

ブギウギの左手ベースラインの地域による違い

初期のブギウギ奏者たちは、ブギウギの基本的なベースラインを、地域と関連付けて認識していた。リー・リー・サリバンは、テニソンとの1986年のインタビューの中で、その地域別のベースラインを特定している[18]。これにより原始的なものから複雑なものまでが特定されたが、中でも最も原始的な形態がテキサス州マーシャルのものであり、そこから離れていくにつれて左手のベースラインがより複雑になっていったことが明らかになっている。

最も原始的な左手のベースラインは「ザ・マーシャル」と称されるものである。これは1小節に4つの拍が含まれるシンプルなものである。その次に原始的なベースラインは「ザ・ジェファーソン」と称され、これも1小節4拍だが、4音の繰り返しの中で最後(4音目)の音が下がる形となっている。この音が下がることについてはニューオーリンズの影響の可能性があると指摘されている。マーシャルの北約11キロメートルに位置するジェファーソンは、かつてキャドー湖、レッド川、ミシシッピ川を経由してニューオーリンズへ抜ける蒸気船の最西端の港であった[25]

その他のベースラインについては、テキサス州マーシャルから離れるにつれてより複雑になるが、これは音楽が広まるのに比例して、バリエーションや革新が起こっていったためである。

テキサス州マーシャル、ハリソン郡とブギウギの起源

2010 年 1 月、ジョン・テニソンはブギウギの起源に関する研究をまとめ、テキサス州マーシャルが「1870 年から 1880 年にかけて行われたあらゆるブギウギ演奏を最も包含している、あるいは地理的中心点に最も近い場所である」と結論付けた。

テニソンは以下の通り書いている:

エリオット・ポールの説明に加え、レッドベリーが 1899 年に(キャドー湖近郊の)アークラテックスでブギウギを目撃したこと、トーマス家が北から南へ移住したこと、1870 年代初頭にテキサス・アンド・パシフィック鉄道の本部がマーシャルにあったこと、ハリソン郡がテキサス州で最大の奴隷人口を抱えていたこと、そして1900年になるまで、南東テキサスにはテキサス州内で最も記録が残り規模も最大のテレビン油キャンプは存在しなかったという事実を考慮すると、ブギウギはテキサス南東部から北東部に広がったのではなく、テキサス北東部から南東部へ広がった、あるいは東テキサスの針葉樹林全体に均一な密度で拡散して広がった可能性が最も高いと言える。未だ発見されていない最も初期のブギウギ演奏の記録が、仮にテキサス北東部に(比喩的にも文字通りにも)埋もれていたとしても驚くことではない。

2010年5月13日、マーシャル市の委員会は、同市をブギウギ音楽の「発祥の地」とする宣言を公式に行ない、ブギウギ音楽を作り出す上において重要な役割を果たしたテキサス北東部の初期のアフリカ系アメリカ人文化に対する関心と理解を促進するための計画を制定した[26]。「ブギウギ発祥の地(Birthplace Of Boogie Woogie)」という標語は、2011年6月21日、マーシャル市コンベンションおよび来訪者局(Marshall Convention & Visitors Bureau)によって登録されている。

近代的なブギウギへの発展

1923年、「Tin Roof Blues」と題した楽曲がクラレンス・ウィリアムズ出版社から出版された。作曲者のクレジットには、リチャード・M・ジョーンズと記された。この楽曲はイントロにブギのベースラインが使用され、その変化形を曲を通じて聴くことができる。1923年2月、ジョセフ・サミュエルズのタンパ・ブルー・ジャズ・バンドは、ジョージ・W・トーマスの楽曲「The Fives」をオーケー・レコードにレコーディングしたが、これはジャズ・バンドが演奏する初のブギウギと考えられている。

ジミー・ブライスによる1924年4月の「Chicago Stomps」のレコーディングは、最初の完全なブギウギ・ピアノのソロのレコードと称されることがある。

ブギウギの初めてのヒットとなった楽曲は、1928年にレコーディングされ、1929年にリリースとなったパイン・トップ・スミスの「Pine Top's Boogie Woogie」である。このレコードの商業的成功は「ブギウギ」を音楽スタイル名として確立させることに寄与した。これに続くようにミード・ルクス・ルイスの「Honky Tonk Train Blues」が1930年3月(レコーディングは「Pine Top's Boogie Woogie」よりも早い1927年)にパラマウント・レコードよりリリースとなった。この演奏は列車を使った旅を想像させるものであり、いわゆる「トレイン理論」に信憑性を与えるものかもしれない。

1930年代から40年代:カーネギー・ホールとスウィング

音楽プロデューサージョン・ハモンドがプロモーションを行なった1938年の「スピリチュアルからスウィングまで」と題したコンサートの開催により、ブギウギは更なる注目を集めることとなった[2]。このコンサートはカーネギー・ホールで開催され、ビッグ・ジョー・ターナーとピート・ジョンソンがフィーチャーされた。彼らはターナーによるジョンソンへのトリビュートである「Roll 'Em Pete」を演奏している。この他、出演者には「Honky Tonk Train Blues」を演奏したミード・ルクス・ルイス、「Swanee River Boogie」を演奏したアルバート・アモンズがいた。「Roll 'Em Pete」は、ロックンロール初期の楽曲と考えられている。

これらの3人のピアニストにターナーを加えた4人はニューヨークのナイトクラブ、カフェ・ソサエティにレギュラーで出演し、洗練された演奏で人気を博した。彼らはしばしば2台のピアノ、ときには3台のピアノのコンビネーションで演奏し、豊かな質感のピアノ演奏を生み出した。

カーネギー・ホールのコンサートの後、スウィングのバンドがブギウギ・ビートを音楽に取り入れることが自然なこととなっていった。トミー・ドーシーのバンドは1938年に「Pine Top's Boogie Woogie」のアップデートされたバージョンを「Boogie Woogie」のタイトルでレコーディングし、1943年と1945年にヒットとなった[27]。そして彼らのレコードはグレン・ミラーの「In The Mood」に次ぐスウィング時代の2番目のベスト・セラーとなっている。1939年、コロムビア・レコードの音楽プロデューサーだったジョン・ハモンドの勧めにより、ハリー・ジェイムズはピート・ジョンソン、アルバート・アモンズと共にシングル「Boo-Woo」と「Woo-Woo」をレコーディングした[28]。同じく1939年以降、ウィル・ブラッドリーのオーケストラはブギのヒットを連発した。その中にはオリジナル・バージョンの「Beat Me Daddy (Eight To The Bar)」、「Down The Road A Piece」(どちらもリリースは1940年)、そして「Scrub Me Mamma With A Boogie Beat」(1941年レコーディング)などがある。同年、アンドリューズ・シスターズは自らのレコーディング「Boogie Woogie Bugle Boy」をトップ10入りのヒットにさせている。

カーネギー・ホールでのコンサートの人気により、ブギウギの奏者たちにはたくさんの仕事が舞い込むこととなり、またブギウギのサウンドが他の音楽の形式に適用されることにもつながった。トミー・ドーシーのバンドはサイ・オリヴァーが編曲を務めた「T.D.'s Boogie Woogie」でヒットを飛ばし、間もなく様々なタイプのブギウギの曲が録音され、楽譜も出版されるようになった。その中には、ビッグバンドのジャンルでは最も知られた楽曲「Boogie Woogie Bugle Boy」もあった。この曲は、クリスティーナ・アギレラによって改作されて2006年に「Candyman」としてリリースされ、ヒットとなった[29]

ブギウギの派生形

ブギウギの流行は1930年代後半から1950年代初頭まで続き[30]ジャンプ・ブルースの発展、そして最終的にはファッツ・ドミノリトル・リチャードジェリー・リー・ルイスに代表されるロックンロールの発展に大きく貢献した。ジャンプ・ブルースの著名なミュージシャンとしてはルイ・ジョーダンがいた。ブギウギは現在においても、ヨーロッパ、北米全般のライヴハウスやレコードで聴ける。ビッグ・ジョー・ダスキンは1979年のアルバム『Cincinnati Stomp』でアルバート・アモンズ、ピート・ジョンソン直伝のピアノ・ブルースとブギウギの技を余すところなく披露した[31]

当初ヒルビリー・ブギ、または(後にカントリー・ブギと改名される)オーキー・ブギと呼ばれたカントリー・ミュージックとブギウギの融合された音楽が、1945年後半頃から急増した。この時期の特筆すべきカントリー・ブギの一つはデルモア・ブラザーズの「Freight Train Boogie」である。より代表的な例は、ウェスタン・スウィングの先駆者ボブ・ウィルズの楽曲の一部で聴くことができる。ヒルビリー・ブギの時代は1950年代まで続いた。この時代の最後のレコーディングは、テネシー・アーニー・フォードが行なっている。彼はクリフィ・ストーンと彼のオーケストラと組み、ギター・デュオのジミー・ブライアントとスピーディー・ウェストが共演した。ビル・ヘイリーとサドルメンは1952年に「Sundown Boogie」をレコーディングした。これにもブギウギのリズムを刻むギターがフィーチャーされている。

ブギウギは、カントリー・ミュージックの中で20世紀末頃まで演奏され続けた。初期の楽曲「The South's Gonna Do It Again」にブギウギの影響が出ているチャーリー・ダニエルズ・バンドは、1988年に「Boogie Woogie Fiddle Country Blues」をリリース。その3年後の1991年にはブルックス&ダンの「Boot Scootin' Boogie」がヒットとなっている[32]。これらに加え、アスリープ・アット・ザ・ホイール、マール・ハガード、ジョージ・ストレイトといったアーティストたちが自身の作品にブギウギを取り入れている。

ブルースの様々なスタイル、特にシカゴ・ブルース、そして近年のウェスト・コースト・ブルースにおいて、トラディショナルなブギウギ・スタイルに影響を受け、作品に採り入れているピアニスト、ギタリストが存在する。最も影響力の強い初期のアーティストにはビッグ・メイシオサニーランド・スリムがいる。ブルース・ピアニストとしては最も著名な部類に入るオーティス・スパンパイントップ・パーキンズもブギウギの影響を受けており、後者についてはその芸名はパイン・トップ・スミスの代表曲「Pine Top's Boogie Woogie」に由来している。

クラシック音楽においては、作曲家のコンロン・ナンカロウもまたブギウギの影響を受けており、彼の初期の自動ピアノのための作品の多くでそれを聴くことができる。「A Wonderful Time Up There」はブギウギ調のゴスペルの楽曲であった。1943年、モートン・グールドはクラシック音楽のピアニスト、ホセ・イトゥルビのために「Boogie-Woogie Etude」を作曲し、イトゥルビは同年、それを演奏しレコーディングした。ポーヴェル・ラメルの1944年リリースの最初のヒット曲は「Johanssons boogie-woogie-vals」で、彼はここでブギウギとワルツを混ぜ合わせている。ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンピアノソナタ第32番の第2楽章第3変奏にブギウギの音楽的特徴が現れているとの指摘が、評論家たちから21世紀になってからなされている。この曲はブギウギというジャンルが誕生する60年も前の1821年から1822年に作曲されたものである[33]

アート作品の中のブギウギ

オランダ出身の画家ピート・モンドリアンは、他の多くのヨーロッパの人々同様に第二次世界大戦を避けるため1940年にニューヨークに渡った。ニューヨークのとある晩に彼はブギウギを耳にしてニューヨークという街ともどもほれ込んだという。間もなく、彼はブギウギを彼の絵画に採り入れはじめた。モンドリアンは自らの芸術的目標をブギウギに絡めて以下の通りコメントしている「メロディーの破壊は自然な外観の破壊であり、継続的な反対を通じて構築されるのはダイナミックなリズムである[34]。」

脚注

  1. 1 2 Elliot Paul, That Crazy American Music (1957), Chapter 10, p. 229.
  2. 1 2 Paul Du Noyer (2003). The Illustrated Encyclopedia of Music (1st ed.). Fulham, London: Flame Tree Publishing. p. 165. ISBN 1-904041-96-5
  3. History of Boogie-Woogie (英語). Timeline of African American Music. 2025年10月19日閲覧。
  4. Paddy Milner. Everything You Need to Know About Boogie Woogie Piano (英語). MusicGurus. 2026年1月19日閲覧。
  5. 1 2 The South Bank Show (英国のテレビ・シリーズ), episode on Boogie Woogie, 1986, 解説: Paul Oliver
  6. They Have a Word for It: A Lighthearted Lexicon of Untranslatable Words and Phrases, Howard Rheingold著, Published 2000 by Sarabande Books.
  7. Liner Notes (p. 20), written by Jean-Christophe Averty, for CD album, Original Boogie Woogie by Claude Bolling, 1968, Universal Music S.A.S., France.
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  34. Piet Mondrian. Broadway Boogie Woogie. 1942–43 | MoMA (英語). The Museum of Modern Art. 2025年10月19日閲覧。

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