ウェリントン公像
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 22:50 UTC 版)
「オールダーショット」の記事における「ウェリントン公像」の解説
詳細は「ウェリントン公爵騎馬像 (オールダーショット)」を参照 馬に乗った初代ウェリントン公爵がコペンハーゲンを向いている像は、王立駐屯地教会(英: The Royal Garrison Church)の裏手にあるラウンド・ヒルに据えられている。像の高さは30フィート (9.1 m)で、馬の鼻先から尾までは26フィート (7.9 m)、腹回りは22フィート (6.7 m)を超える。像は40トンの重さがあり、馬の筋肉や血管なども詳細に作り込まれている。像はワーテルローの戦いで得た大砲から青銅を再利用していたマシュー・コーツ・ワイアット(英語版)によって設計・鋳造された。この像制作には、30人が関わって3年以上も費やしている。 この像は、元々1846年に、ロンドンのハイド・パーク・コーナー、ウェリントン・アーチ(英語版)の上に立てられたものである。しかし、アーチの設計士であるデシマス・バートン(英語版)は、自分が気に入っていた「馬4頭立てのチャリオット」を据えるため、これを拒否した。また、門との比率という面から、像が特異に見えてしまうと、バートンの意見に賛同する人は多かった。この像は "The Archduke"(元々「大公」との意味がある単語だが、「アーチ上の公爵」とかけている)と揶揄され、風刺雑誌『パンチ』でも人気の話題となった。 ヴィクトリア女王も、像がバッキンガム宮殿からの見晴らしを損なうと言い張り、彼女は像を移動させると個人的に提案した。公爵は、彫刻家の依頼に応じて2、3度モデルを務めただけだったが、急に像に固執し、アーチから像を取り除くなど考えたくないと言い始めた。 1883年、道路拡張計画に伴い、アーチは少し移動してコンスティテューション・ヒル(英語版)を見下ろす位置に移されることになった。当時のプリンス・オブ・ウェールズだったエドワード7世は、首相ウィリアム・グラッドストンに対して、「公爵の古い巨大な像についてだが。あれは壊されるべきではないと思うが、軍隊にとって価値のあるものだからオールダーショットにやったらどうだ」 ("As regards the old colossal statue of the Duke, I would suggest that it should not be broken up but removed to Aldershot where it would be highly valued by the Army") と書き送っている[要出典]。 1885年には、プリンス・オブ・ウェールズが像をオールダーショット駐屯地の司令であるアンダーソン陸軍中将に引き渡した。
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