Archdukeとは? わかりやすく解説

オーストリア大公

(Archduke から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/17 06:02 UTC 版)

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オーストリア大公冠

オーストリア大公(おーすとりあたいこう、ドイツ語: Erzherzog von Österreich ラテン語: Archidux Austriae 英語: Archduke、Archduchess)は、ハプスブルク家ハプスブルク=ロートリンゲン家を含む)により用いられたオーストリアオーストリア大公国)の領主としての称号。16世紀以降は君主以外の一族の成員も用いた。

概要

従前のオーストリア公(Herzog von Österreich)の「」(Herzog)を、その長としての意味をもつ「大公」(Erzherzog)に格上げしたもの。ルドルフ4世の僭称に始まるとされ、カール4世金印勅書選帝侯位を認められなかったルドルフ4世が特別な地位を求めたためといわれる。後にハプスブルク家の神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世の時代に、帝国法によって正式の称号として定められた。

ハプスブルク家では元来、兄弟で所領を分割あるいは共同統治の形で相続していたため、男子の成員はみな大公の称号を用いることになった。後に長子一括相続に改められたが、大公の称号はそのまま平等に用いられた。

後に、ハプスブルク=ロートリンゲン家の分家であるオーストリア=エステ家では、オーストリア=エステ大公Erzherzog von Österreich-Este)の称号も用いられた。

関連項目


archduke (独Erzherzog)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 02:19 UTC 版)

大公」の記事における「archduke (独Erzherzog)」の解説

オーストリア大公」も参照 Erzherzog(英語:archduke)は、オーストリアハプスブルク家成員が使う称号である。オーストリア大公のほか、オーストリア=エステ大公称する例もある。オーストリアルドルフ4世自称したことに始まり16世紀以後ハプスブルク家全ての男子成員使用女性形はErzherzogin)するようになった。 前ハプスブルク家当主の元オーストリア皇太子オットー・フォン・ハプスブルク、およびその息子現当主のカール・ハプスブルク=ロートリンゲンErzherzog称する

※この「archduke (独Erzherzog)」の解説は、「大公」の解説の一部です。
「archduke (独Erzherzog)」を含む「大公」の記事については、「大公」の概要を参照ください。

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