イングランドでの投獄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/28 06:23 UTC 版)
「ポール・マギー」の記事における「イングランドでの投獄」の解説
1993年3月31日、マギーはグッドマン巡査殺害とその他の警官3名に対する殺害未遂について有罪となり、終身刑が宣告された。また、オブライエンは殺人未遂について懲役18年が宣告された。1994年9月9日、マギーはダニー・マクナミー(英語版)ら5人の囚人と共にホワイトムーア刑務所(英語版)を脱獄した。脱獄囚らは密かに刑務所内に持ち込まれていた銃2丁で武装し、結んだシーツを使って壁を超えたのである。彼らは看守1名を銃撃して負傷させた後に脱走を図ったが、警察および看守らとの追跡劇の末に全員が逮捕された。1996年マギーはベルマーシュ刑務所(英語版)における、いわゆる不潔闘争(英語版)に参加した。また、シン・フェイン党が「悪しき政権は肉体的にも精神的にも囚人を傷つけている」という理由で英国政府を避難していたこともあり、2年間にわたって妻や子供たちとの面会を拒否し続けていた。1997年1月、マギーを含むホワイトムーア刑務所からの脱走者6名は脱走に関する第二審の裁判にかけられた。本来は4ヶ月前の第一審で裁かれるはずだったが、審議に偏見が含まれているとの申し立てによって停止していたのである。被告側弁護人は新聞『イブニング・スタンダード(英語版)』紙がマギーおよびその他2人の被告の顔写真を「テロリスト」(terrorists)という言葉と共に掲載した為、裁判の中で被告の前科や背景にまで言及するべきでないとされているにも関わらず、この裁判に偏見による影響を与えたのだと主張した。裁判官は被告に不利な証拠が非常に強力であると認めつつも訴えを棄却し、「これはこの状況に対して私が行使しうる唯一の手段である。被告らは皆と同じ法のもとにある。彼らはそれらを行う権利を有していた」と述べた。
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