イングランドでの人質生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 10:12 UTC 版)
「ジェームズ1世 (スコットランド王)」の記事における「イングランドでの人質生活」の解説
イングランド王ヘンリー4世はスコットランドに対してジェームズの身代金を要求した。だがロバート3世亡き後摂政として国政を行っていた叔父オールバニ公ロバートはなかなか身代金を払おうとしなかった。1402年の9月にホームドンの丘の戦いで息子マードックが捕虜になった折に、捕虜交換でいち早く帰還させたのとは対照的である。結局ジェームズは18年間をイングランドで過ごすことになる。 ジェームズを拘束したヘンリー4世は、この若い(名目上の)スコットランド王をロンドンに近くて安全で広いカントリー・ハウスであるウィンザー城に留め、そこで教育も与えた。そして人質生活が長くなるにつれて、イングランドの対外政策にも変化が出てきた。フランス戦線で圧勝したヘンリー5世はその余裕からジェームズを厚遇し、さらにヘンリー5世が急死してヘンリー6世が即位すると、イングランド国内の混乱からイングランドはフランス並びにその同盟国であるスコットランドに一定の配慮を行う必要が生じ、ジェームズはさらに厚遇されるようになった。 1420年にジェームズの叔父オールバニ公ロバートが亡くなると、スコットランド側はジェームズの身代金として4万ポンドを支払った。そして1424年5月にようやくスコットランドへの帰国がかない、すぐにスコットランドのスクーン修道院で戴冠式を行い、正式にスコットランド国王として即位した。
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