イラン・イラク戦争での逸話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 04:57 UTC 版)
「エルトゥールル号遭難事件」の記事における「イラン・イラク戦争での逸話」の解説
1985年のイラン・イラク戦争で、イラクは、イラン上空の航空機について、48時間後から無差別に攻撃すると宣言した。当時の日本国は、自衛隊による在外邦人救援ができなかった。日本で唯一国際線を運航していた日本航空も「安全の保証がされない限り臨時便は出さない」とし、日本人がイランから脱出できない状況に陥った。日本の大使がトルコの大使に窮状を訴えたところ、ビルレル全権大使は「わかりました。ただちに本国に求め、救援機を派遣させましょう。トルコ人なら誰もが、エルトゥールルの遭難の際に受けた恩義を知っています。ご恩返しをさせていただきましょうとも」と答えた。ビルレル全権大使の要請を受けたトルコ航空は自国民救援のための旅客機を2機に増やし、オルハン・スヨルジュ機長らがフライトを志願した。215名の日本人はこれに分乗し、全員トルコのアタテュルク国際空港経由で無事に日本へ帰国できた。トルコ機は、陸路での脱出もできる自国民よりも日本人の救出を優先。この救援機に乗れなかったトルコ人約500名は、陸路自動車でイランを脱出することとなった。。 この逸話は2002 FIFAワールドカップでのサッカートルコ代表チームの活躍を機に、テレビ番組や雑誌で取り上げられた。2004年にはこれを紹介した児童書が小学生高学年向けの読書感想文コンクール課題図書になった。2007年、エルトゥールル号回顧展にあわせて東京都三鷹市の中近東文化センターでこの逸話に関するシンポジウムが開催され、当時の関係者が出席した。 2015年、ターキッシュ エアラインズは日本乗り入れに使用しているエアバスA330型機「KUSHIMOTO号」に、1985年当時のデザインの特別塗装を施した。
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