イラン・イラク戦争と湾岸戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 02:05 UTC 版)
「イラク航空」の記事における「イラン・イラク戦争と湾岸戦争」の解説
しかし、1979年にサッダーム・フセイン政権下になった後の1980年に起きたイラン・イラク戦争によりいくつかの国際線が運航休止になってしまい、またイラン・イラク戦争終結後の1988年には休止していた国際線の運航を本格的に再開したものの、そのわずか2年後の1990年にイラクが隣国のクウェートに侵攻し、国際社会の猛反発を受けたことで殆どの国際線の運航が休止となってしまった。なおこの際にクウェート航空が運航していたボーイング767やクウェート国際空港に駐機していた外国機を接収し、自社のフリートに組み込んだ。 ところが1991年に発生した湾岸戦争でアメリカを主力とする多国籍軍の攻撃を受けたため、多くの所有機材を隣国のイランやヨルダンに避難させることになった上、クウェート侵攻の際に組み込んだ機体をはじめ、国内に残した機材の多くが破壊されてしまった。 さらに戦後、国連による制裁によって国際線の運航がメッカ巡礼のための「ハッジフライト」に限られただけでなく、国内に飛行禁止区域が設けられたことから、殆どの機材がバグダード国際空港をはじめとする国内の空港で地上保存状態にせざるを得なくなってしまった。 その上に、地上保存されていたボーイング747-SPやボーイング737-200などの所有機材の多くは、就航できない上に予算が枯渇したためには殆ど整備が行われなかっただけでなく、多くの部品が盗難にあってしまったために、大規模な修繕を行わない限り二度と飛行できない状態になってしまった。また、湾岸戦争以前の1980年代後半にエアバスA310を5機発注していたが、クウェート侵攻で宙に浮いてしまい、建造されないまま2007年にA310自体が製造中止となった。
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