イギリス・フォーミュラ3選手権
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/26 15:01 UTC 版)
| カテゴリ | シングルシーターズ | 
|---|---|
| 国・地域 |  イギリス | 
| 開始年 | 1951年 | 
| 終了年 | 2014年 | 
| ドライバー | 26 (2010) [a][1] | 
| チーム | 12 (2010)[b][2] | 
| コンストラクター | ダラーラ | 
| エンジン サプライヤー | 無限-ホンダ メルセデス HWA フォルクスワーゲン | 
| タイヤ サプライヤー | クーパー・タイヤ | 
| 最終 ドライバーズ チャンピオン |  マルティン・ツァオ | 
| 公式サイト | www | 
イギリス・フォーミュラ3選手権(British Formula Three Championship、別名British F3)はかつて存在した、1951年よりイギリスを中心に開催されているフォーミュラ3(F3)規格に準ずるマシンで争われる自動車レースカテゴリーの1つだった。
かつてはユーロF3などと並び、F3の中でも最高レベルのレースシリーズの一つとされた。
概要
当初はRAC(王立自動車クラブ)管轄の国内選手権として発足したが、その後イギリス国内のサーキット以外にベルギーのスパ・フランコルシャン、ハンガリーのハンガロリンク、フランスのマニクール・サーキットなどイギリス国外で多数のレースが行われ、国際自動車連盟(FIA)の所管する国際シリーズ扱いとなった[3]。2010年時点のシリーズ正式名称が「Cooper Tires British Formula 3 International Series」であることからも、同シリーズが国際シリーズであることが確認できる。
しかしその後世界不況や、ドイツ車メーカー同士によるエンジン開発競争の激化とコスト高騰、フォーミュラカーの人気衰退も相まってエントラントが5台にまで減少。2014年終了をもってドイツF3とともに、ヨーロッパ・F3選手権に統合される形で消滅した。
現在イギリスF3と呼ばれているのは、BRDC(英国レーシング・ドライバーズ・クラブ)が開催していた英国F4選手権が2016年に発展したもので、『GB3選手権』となり別シリーズとなった。マシンはF3とF4の中間の戦闘力・コストを想定した「F3ライツ」と呼ばれるコンセプトが採用されている[4]。
マシン
2010年時点
ポイント
ポイントは以下のようになっている。
| 1位 | 2位 | 3位 | 4位 | 5位 | 6位 | 7位 | 8位 | 9位 | 10位 | FL | 
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 20 | 15 | 12 | 10 | 8 | 6 | 4 | 3 | 2 | 1 | 1 | 
F1への登竜門
チャンピオンには、ドライバーからの申請があれば無条件でスーパーライセンスの発給が行われる(発給には国際A級ライセンスが必要だが、F3チャンピオンであれば発給条件を満たしているのが普通)ため、F3がF1への登竜門として注目をされている。
またイギリスF3チャンピオンの獲った翌年に次の上級カテゴリー(F1、GP2等)へステップアップするには、スポンサー(F1やGP2等のスポンサーの場合)からのサポートが有る場合はほぼ間違いなくシートが用意されているが、スポンサーが無い場合はシート獲得が極めて厳しい状況となっている。
F1チャンピオンを獲得したイギリスF3チャンピオン
| 氏名 | F3チャンピオン獲得年 | F1チャンピオン獲得年 | 
|---|---|---|
| ジャッキー・スチュワート | 1964年 | 1969,1971,1973年 | 
| エマーソン・フィッティパルディ | 1969年 | 1972,1974年 | 
| ネルソン・ピケ | 1978年 | 1981,1983,1987年 | 
| アイルトン・セナ | 1983年 | 1988,1990,1991年 | 
| ミカ・ハッキネン | 1990年 | 1998,1999年 | 
歴代チャンピオン
| 年 | 名前 | 
|---|---|
| 1951 |  エリック・ブランドン | 
| 1952 |  ドナルド・パーカー | 
| 1953 |  ドナルド・パーカー | 
| 1954 |  レ・レストン | 
| 1955 |  ジム・ラッセル | 
| 1956 |  ジム・ラッセル | 
| 1957 |  ジム・ラッセル | 
| 1958 |  トレバー・テイラー | 
| 1959 |  ドナルド・パーカー | 
| 1960 |  ジャック・ピッチャー | 
|  ジム・クラーク | |
|  ジム・クラーク | |
| 1961 |  マイク・レッドブルーク | 
|  ビル・モス | |
|  トレバー・テイラー | |
| 1962 |  ジョン・フィンニング | 
| 1963 |  ピーター・アランデル | 
| 1964 |  ジャッキー・スチュワート | 
|  ロドニー・バンティング | |
| 1965 |  トニー・ディーン | 
| 1966 |  ハリー・スティッレル | 
| 1967 |  ハリー・スティッレル | 
| 1968 |  ティム・シェンケン | 
| 1969 |  エマーソン・フィッティパルディ | 
| 1970 |  デイブ・ウォーカー | 
|  トニー・トリマー | |
|  ホセ・カルロス・パーチェ | |
| 1971 |  ロジャー・ウィリアムソン | 
|  デイブ・ウォーカー | |
|  デイブ・ウォーカー | |
| 1972 |  ロジャー・ウィリアムソン | 
|  リッキー・フォン・オペル | |
|  ロジャー・ウィリアムソン | |
| 1973 |  イアン・テイラー | 
|  トニー・ブライズ | |
|  トニー・ブライズ | |
| 1974 |  ブライアン・ヘントン | 
|  ブライアン・ヘントン | |
| 1975 |  グンナー・ニルソン | 
| 1976 |  ブルーノ・ジャコメリ | 
|  ルパート・キーガン | |
| 1977 |  スティーブン・サウス | 
|  デレック・デイリー | |
| 1978 |  デレック・ワーウィック | 
|  ネルソン・ピケ | |
| 1979 |  チコ・セラ | 
| 1980 |  ステファン・ヨハンソン | 
| 1981 |  ジョナサン・パーマー | 
| 1982 |  トミー・バーン | 
| 1983 |  アイルトン・セナ | 
| 1984 |  ジョニー・ダンフリーズ | 
| 1985 |  マウリシオ・グージェルミン | 
| 1986 |  アンディ・ウォレス | 
| 1987 |  ジョニー・ハーバート | 
| 1988 |  JJ・レート | 
| 1989 |  デビッド・ブラバム | 
| 1990 |  ミカ・ハッキネン | 
| 1991 |  ルーベンス・バリチェロ | 
| 1992 |  ジル・ド・フェラン | 
| 1993 |  ケルヴィン・バート | 
| 1994 |  ヤン・マグヌッセン | 
| 1995 |  オリバー・ギャビン | 
| 1996 |  ラルフ・ファーマン | 
| 1997 |  ジョニー・ケイン | 
| 1998 |  マリオ・ハバーフェルド | 
| 1999 |  マーク・ハインズ | 
| 2000 |  アントニオ・ピッツォニア | 
| 2001 |  佐藤琢磨 | 
| 2002 |  ロビー・カー | 
| 2003 |  アラン・ファン・デル・メルヴェ | 
| 2004 |  ネルソン・ピケJr. | 
| 2005 |  アルヴァロ・パレンテ | 
| 2006 |  マイク・コンウェイ | 
| 2007 |  マルコ・アスマー | 
| 2008 |  ハイメ・アルグエルスアリ | 
| 2009 |  ダニエル・リチャルド | 
| 2010 |  ジャン=エリック・ベルニュ | 
| 2011 |  フェリペ・ナスル | 
| 2012 |  ジャック・ハーヴェイ (レーシングドライバー) | 
| 2013 |  ジョーダン・キング | 
| 2014 |  マルティン・ツァオ | 
関連項目
脚注
- ^ 2010 Drivers From fota.co.uk. Retrieved 2 January 2011.
- ^ 2008 Teams From fota.co.uk. Retrieved 24 March 2007.
- ^ SPORTING & TECHNICAL REGULATIONS - 2010 COOPER TIRES BRITISH FORMULA 3 INTERNATIONAL SERIES
- ^ 【GP3, F3】GP3とF3、2019年から統一シリーズで開催へ Motorsports.com 2017年3月14日
外部リンク
イギリスF3選手権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 10:13 UTC 版)
イギリスでは、F1関係者も注目するイギリスF3で失敗すれば二度と取り返すことができないと考え、まずはF3より格下のジュニア・フォーミュラであるフォーミュラ・ボクスホールJr.にダイヤモンド・レーシングより参戦し、その後に満を持してカーリン・モータースポーツより2000年と2001年にイギリスF3選手権にフル参戦。 2000年前半はミスやクラッシュが目立っていた。また、チームのミスもあり冴えない結果に。しかし、スタートとタイヤが冷えた状態やウェットコンディションでのドライビングは他のドライバーを圧倒する場面も見られた(2000年マカオGP初日ウエット状態でのフリー走行で2位以下を2秒引き離してのトップタイムをマークした。予選2位、決勝リタイア)。2000年の後半は2000年王者であるアントニオ・ピッツォニアをも引き離し、2000年度イギリスF3においてシリーズ3位でシーズンを終えた。また、イギリスの週刊誌オートスポーツで2000年度最速ドライバーとして評価されるなどして、2001年イギリスF3チャンピオン最有力候補とされた。 2001年には前評判通り日本人初のイギリスF3チャンピオンを獲得し、国際F3レース(マールボロマスターズ、マカオGP)も制してF3ドライバーとして世界の頂点を極めた。 また英オートスポーツでF3、2シーズンでイギリスF3+国際F3+スポット参戦フランスF3の通算19勝を挙げて、F3史上最も成功したドライバーとして紹介された。 1998年:フォーミュラ・ボクスホールJr.参戦、フォーミュラオペル・ウィンター3位 1999年:イギリスF3ナショナルクラス3勝、マカオ・エリクソンチャレンジ優勝
※この「イギリスF3選手権」の解説は、「佐藤琢磨」の解説の一部です。
「イギリスF3選手権」を含む「佐藤琢磨」の記事については、「佐藤琢磨」の概要を参照ください。
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