イギリス独自のレゲエの発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 07:17 UTC 版)
「レゲエ」の記事における「イギリス独自のレゲエの発展」の解説
詳細は「ラヴァーズ・ロック」、「ダブ・ポエトリー」、および「ルーツロックレゲエ#ニュールーツ」を参照 1970年代中頃から、ジャマイカ移民二世を中心にしたイギリスの人々はイギリス独自のレゲエを模索し始めた。ルーツ色の濃いアスワドやスティール・パルス、白人のアリ・キャンベル(英語版)がリード・ボーカルを務めるUB40などはその代表格である。また同時期に結成されたバンド、マトゥンビ(英語版)のデニス・ボーヴェルはイギリスにおけるレゲエとダブのみならず、ジャネット・ケイらをプロデュースしラヴァーズ・ロックというジャンルを開拓した。またボーヴェルはスリッツやトンプソン・ツインズをもプロデュースし、パンク・ロックやニュー・ウェイヴシーンにおいても重要な存在となった。スリッツのマネージャーであったドン・レッツに影響を受けたザ・クラッシュや、ポリス、シンプリー・レッドといったロックバンドもレゲエを取り入れた楽曲を多く発表した。 1978年、詩人のリントン・クエシ・ジョンソンはボーヴェルのプロデュースによりアルバム『w:Dread Beat an' Blood』をリリースする。以来ジョンソンはレゲエの伴奏に合わせて詩の朗読をするダブ・ポエトリーと呼ばれるジャンルの第一人者となった。 1970年代初頭よりイギリスでサウンド・システムを経営していたジャー・シャカは1980年代に入り本国ジャマイカがダンスホール全盛となる中で、コンピュータライズドによるルーツレゲエを表現した。このようなスタイルはニュールーツと呼ばれる。1981年にはマッド・プロフェッサーがアリワ・レーベルを立ち上げ、デジタルな音作りでラヴァーズロックとニュールーツ界に独自の地位を築いた。そうしたデジタル化したレゲエはニュー・ウェイヴやテクノ、ハウスといったクラブ系音楽にも影響を与えた。1990年代にはマッシヴ・アタックなどがレゲエとヒップホップ、ハウス、テクノを融合させトリップ・ホップというフュージョンジャンルを生みだしたほか、レベルMC(英語版)などはレゲエのベースラインに高速のブレイクビーツを乗せたジャングルというフュージョンジャンルを生んだ。さらに2000年代には2ステップにダブの要素を加えたダブステップというジャンルが生まれた。
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