イギリス王室との和解
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 14:59 UTC 版)
「ウォリス・シンプソン」の記事における「イギリス王室との和解」の解説
総督の任務を終えた後、夫妻は第二次世界大戦終結後のフランスへ戻り、半ば引退の生活を送った。1952年に、ウィンザー公は弟ジョージ6世の大喪に列席するためイギリスへ戻ったが、ウォリスは招待されなかった。夫妻はイギリスにセカンド・ハウスを購入し、幾度かイギリスを訪問するもののウォリスは歓迎されず、夫の祖国であるにも拘らず「この国は大嫌いよ」と親しい友人にこぼしたという。 さらに夫妻は「イギリスのファシスト」と目され、戦前にイギリスファシスト連合を率いており、親ナチスで知られ第二次世界大戦中は夫婦揃って獄中に送られたオズワルド・モズレーと非常に親しくなるなど、倫理観に欠ける行動を取った。 ようやく公的にウォリスが「公爵夫人」として招かれたのは、1967年のメアリー王太后生誕100年式典が初めてであった。ウィンザー公が目の手術の為にイギリスの病院に入院した際は、エリザベス2世とケント公爵夫人マリナ(ウィンザー公の実弟ジョージの未亡人)が見舞っている。 イギリス王室のメンバーで、率先してウィンザー公夫妻との和解に動いたのは、かつてはウォリスを憎んでいたエリザベス女王だと言われている。エドワードが癌の手術を受けたときには、エリザベス2世はプリンス・オブ・ウェールズ、チャールズと見舞いに訪れた。
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