イギリスの誤算
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/04 02:05 UTC 版)
7月7日、アバークロンビーは、中佐のジョン・ブラッドストリートと、かなりの大きさの兵力とを連水陸路の下り坂に送り込んだ。ブールラマクが野営を張っていた最初の十字路で、ブラッドストリート軍は橋を修復し、製材所のある十字路まで進んでから、そこに野営を張った。斥候と捕虜とが、アバークロンビーに、モンカルムの兵力は6,000人であること、そして、レビが3,000人の補強人員を連れて来るのを待っていることを伝えた。アバークロンビーは、工兵隊の大佐であるマシュー・クラークと、側近の一人であるジェームズ・アバークロンビー(将軍のアバークロンビーと、この側近とが血縁関係だったかどうかは不明)に命じて、フランスの防御を偵察するように命じた。ガラガラヘビの丘に登った後、クラークとアバークロンビーは、フランスの陣地には不備があることを伝え、こうも言った。「簡単に奪い取れます、大砲さえ必要ありません」 彼らは、フランス軍が、藪や森を利用して、防御のための工事をあちこちで行っているのに気づいていなかった。フランスは、実のところ、広範囲にわたり防御は完璧だったのだ。クラークはまた、ガラガラヘビの丘の頂上と麓とに、砦を作るようアバークロンビーに勧めていた。アバークロンビーは、翌朝にフランスに攻撃を仕掛けるべきであると決意した。その前に、レビと、恐らく3000人から成る軍が到着しないことを願っていた。しかしレビは、7月7日の夜、カリヨンに到着した。彼が率いていたのは、400人の正規兵だった。 その夜アバークロンビーは作戦会議を開いた。彼が部下に示した選択肢は限られたもので、攻撃の際の編成を、横3列か横4列かのいずれかにするかということだった。会議の出席者たちは3列を採択した。アバークロンビーの計画では、ガラガラヘビの丘頂上の砦建設は省略された。加えて、正面からの奇襲作戦を果たすべく、ラ・シュート川を漂っていた、4台の6ポンド砲と1台の臼砲を、20隻のバトーに乗った部隊が運んで、ガラガラヘビの丘の基地に据えた。 7月8日の早朝、クラークはもう一度、ガラガラヘビの丘の基地へ行って、フランスの防御を監視しようとした。彼の報告では、奇襲すればフランスの陣形など崩れると、未だに思っているかのようだった。
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