イギリスの議会の権限に関する議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 07:47 UTC 版)
「ジョン・アダムズ」の記事における「イギリスの議会の権限に関する議論」の解説
1772年マサチューセッツ湾植民地総督のトマス・ハッチンソンは、自身と判事達は今後イギリス王室が関税収入からその給与を払うことにするので、マサチューセッツ議会から給与を払われる必要は無いと宣言した。ボストンの急進派がこれに抗議し、アダムズにはその抗議を説明してくれるよう求めた。アダムズは「マサチューセッツ議会からハッチンソン総督に宛てる2つの回答」の中で、植民地人はイギリスの議会の主権下にあったことは無いと主張した。植民地の当初の認可は国王その人のものであり、植民地人の忠誠は国王に対してのみである。議会の主権と植民地の全的独立との間に然るべき線が引かれなければ、植民地は独立を選ぶ以外の選択肢が無くなると、続けた。 アダムズは「ニューイングランド:すなわちアメリカとの論争の歴史、当初の1754年から現在まで」の中で、ハッチンソンが植民地に対してイギリスの議会の絶対的権限を主張したことを弁護するダニエル・レナードの数編の随筆を攻撃した。この「ニューイングランド」の中で、アダムズはレナードの随筆を1点1点反論し、イギリス帝国政策に対する植民地人による最も広範で造詣の深い主張の一つを与えることになった。 成文となっていないイギリス憲法についてその起源、性格および法的権限を説明するのがアダムズの行った体系的試みだった。アダムズはイギリスと植民地の法制史に関する幅広い知識を活かし、植民地議会がその内部事情については全権限を持ち、植民地は国王を通じてのみイギリスと繋がっていることを示した。
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