イギリスの補助貨幣の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/23 04:05 UTC 版)
「補助貨幣」の記事における「イギリスの補助貨幣の歴史」の解説
イギリスにおいて、造幣局長であったアイザック・ニュートンは、1717年に1ギニー金貨は銀貨21シリングに等価であるとして金銀比価を定めた。この当時、1トロイポンド(373.24g)の金貨(品位22/24、純金11トロイオンス:342.14g)は44.5ギニーに相当し、1トロイポンドの銀貨(品位925/1000、純銀11.1トロイオンス:345.25g)は62シリングに相当したため、金銀比価は1:15.21となった。 ニュートンが金銀比価を定めることにより法的には金銀複本位制となったが、この比価は当時の相場より金高に設定されていたため、悪貨である金貨が流通を独占し銀貨は国外に流出した。また国内に流通していた銀貨には削り盗りされた軽量銀貨(clipt money)が横行し、1774年には銀貨による支払いは1回に付25ポンドまでを法貨として通用すると定め、それ以上は銀地金扱いとなり、銀貨は実質的に補助貨幣扱いとなった。1798年には銀貨の自由鋳造が停止され、1816年(Coinage Act 1816)の金本位制施行時には銀貨については1トロイポンドの銀貨(品位925/1000)が66シリングと軽量化され補助貨幣(定位貨幣)となった。このとき銀貨は法貨としての通用制限額が40シリングまでとされた。 下落を続けていた銀価格が第一次世界大戦後に上昇に転じ1920年2月には1オンス89.5ペンスと高騰を見たため銀貨に鋳潰しの懸念が生じ、1920年には銀貨の品位を925/1000から500/1000と大幅な引き下げに至った。1931年にイギリスは事実上金本位制から離脱した。
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