イギリスの苦境
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 14:20 UTC 版)
1941年の終盤、地中海のイギリス海軍の運命はどん底にあった。地中海艦隊では、爆撃によってすべての空母が損傷を受け作戦行動が不可能となっていた。11月25日には戦艦バーラムをドイツ潜水艦の雷撃で失い、戦艦クイーン・エリザベスとヴァリアントは、12月19日にアレクサンドリア港内でイタリアの人間魚雷(マイアーレ)の攻撃を受け大破着底し、これらも戦列を離れることとなった。H部隊も悲劇に直面していた。11月、マルタへの航空機輸送作戦(パーペテュアル作戦)中に空母アーク・ロイヤルがドイツ潜水艦U-81によって撃沈されたのである。イギリス海軍が破滅せずに済んだのは、イタリア海軍が積極的な攻勢に出なかったからにすぎなかった。 1942年は低調のうちに幕を開けた。この年の初めに緊迫した任務となったのは、マルタ島への補給任務だった。マルタは何ヶ月にもわたって激しい攻撃に曝されており、輸送船団は僅かな隙をついて補給任務を強行できるよう厳重に護衛される必要があった。輸送が成功したとしても、マルタの状況は飢餓の一歩手前に過ぎなかった。第二次世界大戦中、もっとも厳重に護衛された船団が、この戦いの鍵となった。この、8月に行われたペデスタル作戦によって、マルタを持ち堪えていくだけの物資を運び込めたのである。
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