イキ―呼吸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:22 UTC 版)
「竹本織太夫 (6代目)」の記事における「イキ―呼吸」の解説
「僕らはマイクは使いません。全てイキ、呼吸。よく「イキを詰める」と言いますが、観劇中に、観客の涙が自然とあふれてくるのは、太夫の呼吸や三味線の鋭い「切っ先」が観客の感情に刺さっているからなんです。お寿司屋さんは、常に包丁を研いでいるでしょう。あれも包丁の切れ味が大事だから。よく「とどめを刺す」と言いますよね。魚が苦しむと味がまずくなるから、殺されたことすらわからないように刺す。文楽で、なぜかわからないけど観客の涙があふれてくるのは、演じ手に、とどめを刺されているわけです。気持ちをえぐられているということ。」 「英国ロイヤル・ナショナル・シアターのボイストレーナー、パッツィ・ローデンバーグが書いた「話す権利」というボイストレーニングの本を何度も読み返しています。この本によって、呼吸し声を出して話すことで自分と言葉とのつながりを知り、それを空間へ解き放つ権利をすべての人が持つことを教えられ、そのことがいかに重要で、語ることを職業とする私にとって、呼吸することが人生すべてにかかわるのだということを再認識しました。呼吸は私達が人生の最初と最後にもすることで、人は空気を求めてあえぎながらこの世に生まれ、去っていくのです。どんな感情も呼吸とともに体験され呼吸に現れます。呼吸の中に溜め込まれ、記憶されます。例えば緊迫したニュースをキャスターが報道する時、「世界中が息をのんで見守っています」と言います。それほど大事なことなのに、目には見えないために意識されなかったりします。人が声を使ってコミュニケーションする時、息の一部は音を体の外へ出しますが、呼吸が静かで、深く、規則正しいものであればあるほど体の中心が保て、自分の感情や考えを素直に話すことができます。対照的にストレスがあると、呼吸は胸の上部と肩へ上がり、短く、不規則となってしまいます。よく「息をするのと同じくらい簡単」という言い回しがありますが、文楽の太夫には、浄瑠璃を語る上で力量のない者にとってはたいへん難しく、「登場人物の息」をするように心掛けて語っていると自分の息が吸えなくなってきて、酸欠になりそうになるので、日常から吐く息、吸う息に、意識を持って生活をしています。」 「詞が完全に身体の中に入ってる状態で、勝手に出てくるように、息は勝手に入ってくるんです。息というのは、太夫が語る上でのブレスではなく、登場人物が吸ってる息なのです。だから役が変わると息も変わる。ちゃんとした言葉をしゃべるとかではなく、自分の言葉を好きになることが一番大事なんじゃないですか。それに魂をこめて。」
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